「畏怖」とは?意味や使い方を例文も含めてご紹介

「畏怖」は、日常会話ではほぼ使われることがなく、文章の中で目にすることが多い言葉です。辞書上の意味は、「おそれおののく」というものですが、大いなる存在に対して使われるため、単なる「怖れ」とは異なります。今回は「畏怖」の意味と使い方を類語も含めてご紹介します。

目次

  1. 「畏怖」の意味とは?
  2. 「畏怖」の使い方
  3. 「畏怖」の類語

「畏怖」の意味とは?

「畏怖」は、(いふ)と読みます。意味は、おそれおののくことですが、より深くこの言葉を知るために、「畏怖」の漢字の字義から始めましょう。

「畏怖」の字義

「畏」の字義は、音読みが(い)訓読みが(おそ-れる、かしこ-い、かしこ-まる)です。この(かしこ-まる)は、「畏まる」と書き、「畏怖」の意味における大事なポイントを含みます。「畏」の意味は、下記の通りです。

  1. おそれる。敬服する。
  2. かしこい。おそれおおい。おそれ敬う。
  3. かしこまる。つつしむ。

「怖」の字義は、音読みが(ふ)訓読みが(こわ-い、おそ-れる、お-じける)で、意味は、怖い、おそれる、おじけづくです。すなわち「畏怖」は、圧倒されるようなおそれとともに、対象に敬服し、かしこまるという感情を意味することがわかります、

「畏怖」の使い方

最も留意すべきポイントは、単なるおそれやおののきを表すのに使うべき言葉ではないことです。通常、おそれおののく対象に思い浮かぶのは、危害を与えられそうなもの、すなわち凶悪な人間や獰猛な獣、人知の及ばない自然の脅威などがあります。

しかし、上記の例のすべては、「畏怖」の対象となりえません。おそれる気持ちとともに「畏」の感情、つまり敬服、かしこまるような思いを抱かせるものを対象とするのが「畏怖」だからです。その観点から、「畏怖」の対象としてよく使われる例を挙げてみます。

神仏や精霊、宇宙や自然の大いなる摂理、偉大な力を持つカリスマなど、人知を超えるような圧倒的存在が「畏怖」の主な対象となります。言い回しとしては、「畏怖する」「畏怖を覚える」「畏怖を感じる」「畏怖の念に打たれる」などが挙げられます。

例文

  • 教会や神社仏閣のなかに入ると、神仏を畏怖する感情が湧いて言葉少なくなる人が多い。
  • 初めて満天の星空に流れる天の川を見たときは、宇宙の広大さに畏怖を覚えた。
  • 仏教やヒンドゥー教の聖地として有名な霊峰カイラス山を前にして、畏怖の念に打たれた。
  • 一代で巨大な世界的企業を築き上げたA氏と向き合うと、畏怖の念が湧いてくる。

「畏怖」の類語

畏敬

畏敬」(いけい)は、崇高なものや偉大な人物、権力のある人物などをおそれ敬うことを意味する言葉です。「畏怖」との違いは、それぞれに含まれる「敬」と「怖」の意味の異なりによるものです。

「畏敬」は、「畏怖」よりも対象を敬う心情が強く、「畏怖」は、敬う思いよりもおそれおののく心情が強くなります。使い方は、畏敬の念を覚えるという言い回しがもっとも一般的ですが、畏敬を感じる、畏敬を覚えるとも表現できます。

【例文】
人種、民族、国家、宗教などすべての壁を越えて人類がひとつになることを唱えるB氏に、多くの人々が畏敬の念を抱いている。

崇敬

「崇敬」(すうけい)は、神仏や気高い人、立派な人などを崇めて敬うこと、心から尊敬することを意味する言葉です。基本的には宗教で用いられる言葉であり、気高く立派な人間とは、霊性が高いという意味におけるものです。

社会的地位が高い人物であっても、霊性の高さがなければ「崇敬」の対象とはなりえません。神仏や聖者に類する人物を対象とする場合、ほぼすべての宗教で「崇敬」が実践されますが、そのあり方は、それぞれの宗教ごとに異なります。

代表的な言い回しは、「崇敬の念を抱く」が最も一般的ですが、「崇敬する」「崇敬を集める」「崇敬を感じる」などの表現も使われます。

【例文】
苦行を経て悟りをひらいたという覚者に、村の人々は深い崇敬の念を抱いていた。


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