「自由」とは?
「自由」(じゆう)とは、哲学の用語で、「他からの制約・支配などを受けずに、自らの意思・心・本性のままであること」という意味の言葉です。
ただし、現実の人間の生活において、何の制約もない「自由」は、実現がほぼ不可能と考えられています。(後述します)
そのため、「自由」は、一般的には「一定の条件(ルール)のもとで、他のものから干渉を受けず、自分のしたいように何かできること」という意味で語られることが多いでしょう。
無条件の「自由」の実現が難しい理由
もし、あなたに無条件の「自由」があるとすると、極論、「何をしてもいいし、何でもできる」ということになります。しかし、地球上にいるのであれば重力から逃れることはできませんし、肉体にも現実的な制約があります。
また、あなたが「自由」だと思ってやったことが、他人の「自由」を侵害(しんがい)してしまうとしたら、そこには何らかのルール作りが必要です。そうでなければ、他人が主張する「自由」に、あなたの「自由」は簡単に侵害されてしまいます。
多くの場合、「他人の自由を侵害しない」という条件のもとに「自由」が認められるのであり、特に法律や社会的場面における「自由」(表現の自由、信教の自由など)は、常にその領分の拡大を目指しつつも、「無条件の自由」を保証するものではありません。
「自由」の使い方
既に述べたように、「無条件」または「完全無欠」の「自由」は、空想的な理想論の中ですら定義が困難です。よって、一般的には「一定の条件のもとで」「他からの干渉を受けず」「何かができる」という3つの要素を「自由」とわきまえましょう。
特に、人間社会で「自由」について語る際には、「何かができる」という部分がそのまま「〇〇の自由」というかたちで具体的な定義・名称を持って扱われることが多いでしょう。(例:職業選択の自由、人身の自由、学問の自由、意思の自由)
人類の歴史上、身体や精神、人間があらゆる面で「自由」ではなかったり、不当に「自由」を奪われたりしていた期間はけっして短くなく、「自由」は勝ち取るべきもの、拡大を目指すべきものとしてポジティブなイメージとともに使われることが多いです。
例文
- 人間には信教の自由(どんな宗教を信じるのも信じないのも自由であること:日本でも憲法で保障されている)があるから、家族と同じ宗教を信じなくても良い。
- 鳥は自由に空を飛べて羨ましく思うが、その生活は人間より過酷かもしれない。
- 独裁政権に虐げられてきた民は、レジスタンスを組織し、自由のために戦うことを決意した。
- 脳梗塞を患ってからというもの、片手が自由に動かない。
- 修学旅行三日目の午後は自由行動で、市内であればどこを巡ってもよい。
「自由」の類語
自在・自由自在
「自在」(じざい)とは、束縛や支障がなく、思いのまま・心のままであることという意味の言葉です。どちらかというと、概念よりも、物の操作・扱いなどに用いられることが多いでしょう。「自由自在」という言葉もあります。
【例文】:遠い未来では、人類は広い宇宙を自在に飛び回っていることだろう。
縦横・縦横無尽
「縦横」(じゅうおう)とは、そのまま「たてとよこ」の意ですが、空間を自由に行き来するという連想からか、「勝手気まま」や「自由自在」という意味でも使われます。「縦横、尽きること無く」の意で「縦横無尽」(じゅうおうむじん)という語もあります。
【例文】:若くして才能を開花させた彼は、政界で縦横に活躍した。
フリー・フリーダム
「フリー」(英語:free)は「自由」の意で、そのまま音写として日本語としても使われることがあります。名詞として扱う場合は「フリーダム」(英語:freedom)です。
【例文】:明日の午後はフリーなので、遊びに付き合えるよ。