「畏敬」の意味
「畏敬」(いけい)とは、偉大な存在に対して心から敬うことです。意味は同じですが、語順を逆にして「敬畏」(けいい)という言葉もあります。
「畏」「敬」それぞれの意味
「畏敬」は、同じ意味を持った漢字が重ねられ、相手を敬う気持ちを強調しています。対象の存在にすっかり心服しきっている様子がうかがえます。
「畏」について
「畏」という字は「田」で鬼の頭、下半分は「虎」を省略した形です。鬼の頭と虎の爪を持ったおそろしい化け物を表し、怖がる、恐れおののくことがもともとの字義です。「畏敬」の場合は、「能力が及ばない相手に対して、おそれながらうやまう」という派生した意味合いです。
「敬」について
「敬」は、「苟」(いましめる)と「攵」(「攴」の略字:うつ、たたく)が組み合わされた字です。自分の身をいましめるように打つことが、相手にかしこまって身をつつしむ様子につながり、そこから派生して「相手を重んじてうやまう」という意味で使われるようになりました。
なお、「苟」のくさかんむりの部分は、真ん中の横棒がない(Tの字を左右に倒して、Tの上の部分が向き合うような形)かんむりが正字ですが、フォントにない文字のため、便宜的に「苟」を使っています。
「畏敬」の使い方
「畏敬」は、書籍や雑誌、新聞などで用いられる文語的な表現で、普段の話し言葉ではあまり使われません。少し大げさに感じられるためか、口語では「尊敬」や「敬意」などの言葉を用いることが多いようです。
「畏敬」の対象となるもの
「畏敬」の対象となる存在とは、多くの場合、自分とかけ離れた優秀な人物を指します。周囲と一線を画するような存在で日頃から尊敬している相手、口に出すのも申し訳なく恐れ多いと感じる存在です。
例えば、その道の大御所のような人物、同世代や年下でも自分が到底かなわないと思う人物などが挙げられます。恐れ多いという意味では、神仏などの直接目に見えない大きな存在にも使えます。
「畏敬の念」
「畏敬」は、しばしば「畏敬の念」という形で用いられます。「畏敬の念」は、相手に対しておそれながら敬う心情そのものを指します。
【「畏敬の念」が使われる例】
- 畏敬の念を抱く…確固たる畏敬の気持ちがある
- 畏敬の念に打たれる…相手に対して畏敬の気持ちが沸き起こり感動する
- 畏敬の念を覚える…相手を畏敬する気持ちを自覚する
「畏敬」の例文
- 若手の歌手は大御所の演歌歌手を、畏敬の気持ちを込めた眼差しで見上げていた。
- 私が畏敬する人は素晴らしい功績を残したAさんです。
- 信者の多くは高名な僧侶に畏敬の念を抱いている。
- 篤志家(とくしか)のBさんが被災者に対して多額の寄付をしたと聞き、畏敬の念を覚えた。
- 穏やかな表情の仏像を拝し、畏敬の念に打たれる。
「畏敬」と「畏怖」の違い
「畏敬」と「畏怖」(いふ)、両者の違いが分からないと困っている方もいるようです。「畏怖」の意味は、相手に対しておそろしいと感じて怖気づいてしまうこと、普通の人とは桁違いの能力が感じられうっかり近づけないと感じることです。
「畏敬」には相手を恐るべき存在だと認めた上で敬意が感じられます。「畏怖」の場合は、「畏」の字義から考えて相手を敬う気持ちと恐れる気持ちが半ばしながらも、「怖」を重ねることで、尻込みしてしまうくらい怖ろしいことを表し、恐怖の気持ちが強く感じられます。
一部では「畏怖」を近寄りがたく怖ろしいと感じるくらい相手の優れたところを認めていると考え、敬意を表すように使う例も見られます。しかし、「畏敬」の方が、相手を尊敬する気持ちがより強く感じられますね。
「畏敬」の類語
敬重
「敬重」(けいちょう)は、相手を敬い大切に思うことです。「重」は物の重さを表すのではなく、相手を重んじることをいいます。「畏敬」は、相手に対しておそれる気持ちが入りますが、「敬重」にはそのような意味は含まれません。
【例文】
自分が大変な時でも、周囲を気遣える人はなかなかいない。彼こそ敬重すべき人物だ。
恭敬
「恭敬」(きょうけい/くぎょう)とは、相手に対しつつしみ敬うことで、もともとは仏教用語です。「恭」は丁寧につつしむこと。言い換えると、相手に尊敬の念を示しながら、失礼のないように丁重に振る舞うような感じですね。
「畏敬」のように相手を恐れ多いと思っているかは定かではありませんが、気を使うくらい立場が上の人である場合に使うと考えられます。
【例文】
多くの弟子は、退任されるA先生に恭敬の意を表した。