「究竟」は何と読む?
「究竟」の読み方には「くきょう」「くっきょう」「きゅうきょう」があります。主に「くきょう」「くっきょう」と読むことが多いようです。
「究竟」は、もともとは「くきょう」と読まれていましたが、強調表現として「くきょう」に小さな「つ」を入れて促音化し、「くっきょう」と読むようにもなったとされています。
「究竟」の意味
「究竟」が表す意味は以下の通りです。
- 究極。
- 非常にすぐれていること。
- この上なく都合の良いこと。
- 結局。
それでは、それぞれの意味と使い方を具体的に見ていきましょう。
「究竟」の使い方
1.究極
「究極」とは、物事を突き詰めていき、最後に到達するところのことです。他に並ぶものがなく、比較できるものや対立するものがない最高のところを表す際に「究竟」と使います。
また、仏教用語にある「究竟」もこの意味で使われ、その際には「くきょう」と読むようです。「事物を徹底的に極め、頂点に達した状態になる」ことを指し、仏教における最高の境地を表します。
【例文】
- 彼の究竟の目的は、社会を変えるほどの大きなことを成し遂げることだ。
- 究竟の境地とはどのようなものなのか、私には想像もできない。
2.非常にすぐれていること
「非常にすぐれていること」とは、力が非常に強いことや技術などがこの上なくすぐれていることです。「すぐれている」程度がはなはだしい場合に「究竟」と言います。
また、この意味で「究竟」を使う場合には「屈強(くっきょう)」とも書きます。
【例文】
- 彼女の究竟さは国中の人たちに知られている。
- 彼が今の地位まで上り詰めたのは、究竟な部下たちの働きによるところが大きい。
3.この上なく都合の良いこと
「この上なく都合がよいこと」とは、まるで自分の希望や要求に合わせたかのように、自分にとってちょうど良い状況やなりゆきになることです。
「この上なく」とあるように、「究竟」を使う場合には「まあまあ都合が良い」という程度ではなく、「これ以上のものはない」というほどに都合が良いことを表します。
この意味で使う場合にも、2の意味と同様に「屈強」と書くことができます。
【例文】
- 今が新しい事業を立ち上げるのに究竟のタイミングである。
- このような危険な実験をするには、ここは究竟の場所だ。
4.結局
「結局」とは、「さまざまな道筋を経て、最終的に行き着くところ」という意味です。この意味で「究竟」を使うと、これまでに考えてきたことや述べてきたことの細かい部分を省略して、簡単にまとめて示すという意図を伝えることができます。
そのため、結論などを伝える際に用いられることが多く、「要するに」と同じように使うことが可能です。
【例文】
- 究竟するに、何が最良の選択だったのかは判断できないということだ。
- 究竟、私たちのグループは解散することになった。
「究竟」の類語
1.究極
【終極(しゅうきょく)】
「終極」は、物事の一番最後に行き着く果てのことを意味します。「彼女の終極の目的は果たされた」といった使い方ができます。似た言葉に「終局」がありますが、こちらは「物事が終わること」という意味です。
【無上(むじょう)】
「無上」とは、それ以上のものはないことや最もすぐれていることです。「彼女は無上の喜びを表した」のように用います。
【最上(さいじょう)】
「最上」は、これ以上のことはないことや最もすぐれていることを意味し、程度や価値などが最も高いことを表します。使い方には「最上のおもてなしを受ける」などがあります。また、「最上階」のように「重なっているものの一番上」も意味します。
2.非常にすぐれていること
【秀逸(しゅういつ)】
「秀逸」とは、他よりもひときわすぐれていることという意味です。「この料理は秀逸な一品である」のように使います。
【至高(しこう)】
「至高」は、この上ないほどに高く、非常にすぐれていることを意味し、「彼の芸術は至高に達している」などのように用います。
【一騎当千(いっきとうせん)】
「一騎当千」は、一人で千人の敵を相手に戦うことができるほど強いことを表す表現です。「一騎当千の兵とは彼のことだ」といった使い方をします。
3.この上なく都合の良いこと
【持って来い(もってこい)】
「持って来い」とは、あることを行うのに能力や状態が最も適しているさまを表します。人や事物に幅広く用いることができ、「散歩には持って来いの気候だ」のように使います。
【打って付け(うってつけ)】
「打って付け」は、物事が希望や条件にちょうど良く当てはまることを意味します。「持って来い」と同様に人と事物のどちらにも使い、「この仕事に打って付けな人だ」などの使い方ができます。
【絶好(ぜっこう)】
「絶好」は、ある物事を行うにあたり、この上なく良いことという意味です。例として「絶好の機会に恵まれる」のように用います。
4.結局
【畢竟(ひっきょう)】
「畢竟」には、どのような物事のいきさつがあっても最後に行き着くところという意味があります。「畢竟するに原因はこれだ」のように使います。
【とどのつまり】
「とどのつまり」とは、途中にさまざまなことがあっても、結論として行き着くさまのことです。「とどのつまり、その計画は失敗した」といった使い方をします。好ましくない結果のときに使うことが多いですが、そうでない場合に使うこともあります。
【詮ずる所(せんずるところ)】
「詮ずる所」は、いろいろと考えた結果としてという意味です。「詮ずる所、私のせいだ」のように用います。