「畢竟」の意味
「畢竟」は名詞または副詞として使われる熟語です。名詞の場合は「結局・究極」、副詞の場合は「つまり・結局・所詮」といった意味になります。
「畢」の字には「終えること」、「竟」にも「ついに終わる」という字義があるため、終わるという意味を重ねて強調した言葉が「畢竟」なのです。
「畢竟」の語源
「畢竟」の語源はサンスクリット語の「atyanta」とされています。サンスクリット語とは古代インドや南アジアなどで使われていた古代語です。主に文学や哲学の分野で活用されていました。
特にヒンドゥー教の礼拝用の言語として有名で、仏教の経典を表記するのにも用いられている言語です。
例えば親鸞の「浄土和讃」に「畢竟依を帰命せよ」という文言があります。「畢竟依(ひっきょうえ)」とは究極の拠り所のことで「帰命(きみょう)」とは身命を懸けて依ることを指します。
親鸞は究極の拠り所を「阿弥陀仏」のことであるとし、阿弥陀仏の教えを守るよう説いていたのです。
「畢竟」の使い方
文学書に頻出する「畢竟」は副詞として使われることが多いです。例えば芥川龍之介の著書「侏儒の言葉」の一節に「わたしは畢竟失敗者だった」とあります。
この場合「畢竟」は「つまり・結局」と訳せるので「わたしは結局のところ失敗者だった」と読めるわけです。
例文
- 今日提出の課題があると聞いて私だけが慌てていた。畢竟私は人の話を全く聞いていなかったということだ。
- 友人が仲間外れになっているのに助けてあげることが出来なかった。私は畢竟臆病者であるということだ。
- 学生生活がとてもつまらなく感じるのは、畢竟私に友達が全くいないからだろう。
- 彼との学力にここまで差がついたのは、畢竟彼の努力のたまものである。
「畢竟」の類語
「挙句」
「挙句(あげく)」は「連歌・連句の最後の七・七の句のこと」転じて、「終わり・結局」という意味を持ちます。使い方としては「Aの挙句B」となりBには大抵悪いことが当てはまります。例えば「遅刻した挙句宿題を忘れた」と使います。
「果て」を付けて「挙句の果て」と使う場合も多いですが、「果て」にも「終わり」という意味があるため、強調され「最後の最後・とどのつまり」という意味になります。
【例文】
- プレゼンの資料を家に忘れてしまった挙句、会議自体を中止に追い込んでしまった。
- 昨晩ゲームが止められず徹夜した挙句、会社に遅刻するという失態をおかした。
- 彼女は買い物に散々時間をかけた挙句、何も買わずに帰っていった。
「迚もかくても」
「迚も(とても)かくても」は「いずれにしても・所詮・どのようにしてでも」という意味があります。所詮・結局のところという点で「畢竟」と似た言葉と言えます。
【例文】
- 迚もかくても同じ結果だろうが、少しでも良い結果を求めてしまうのが人間の性だ。
- 言い訳をしようがしまいが、迚もかくても怒られるのだから、潔く謝ろう。
- 私は迚もかくてもチェスにおいては弱者であったという事だ。
「つまるところ」
「つまるところ」は「詰まる所」と漢字で書きます。意味は「結局・すなわち・要するに」です。ビジネスシーンで「つまるところ」がよく使われる理由は文語的な(お堅い感じな)言葉だからでしょう。
【例文】
- つまるところ君の書類は差し替えが必要だということだ。今日中に頼むよ。
- なんやかんや言い訳を並べていたが、つまるところ彼女は宿題を忘れたということだ。
- 彼はつまるところ彼女に好意を持っているということで良いのかな。
「畢竟」を使った四字熟語
「畢竟寂滅」
「畢竟寂滅(ひっきょうじゃくめつ)」は「悟りを極めて境地にたどり着くこと」です。「寂滅」は「煩悩を全てなくすことで得られる心の静けさ」のこと。
「畢竟成仏」
「畢竟成仏(ひっきょうじょうぶつ)」の意味は「究極の悟りを開いた状態になること」です。