「冷酷」の意味とは?
「冷酷」(れいこく)とは、人に対する思いやりの気持ちが感じられず、手厳しく接する様子をいいます。
「冷酷」の「冷」は心が冷たく情が感じられないこと、「酷」はてきびしい、ひどいことです。
「冷酷」の使い方
「冷酷」は、思いやりがなく、人の持つ心の温かみが全く感じられない人に使われます。非常にネガティブな言葉です。
例をあげると、「冷酷」な人は自分に利益をなさない人を容赦なく切り捨て、困っている人を助けずに見捨て窮地に追い込むというイメージです。直接手を下さないまでも、困っている人を影であざ笑うような人も「冷酷」といえるでしょう。
「冷酷」を使った四字熟語:冷酷無情
「冷酷」を使った四字熟語に「冷酷無情」(れいこくむじょう)があります。「冷酷」は前述の通り、心が冷たく人への情けが感じられないさま、「無情」も情が無い、思いやりの気持ちが無いことをいいます。
「冷酷」も「無情」も同じような内容で、熟語を重ねることで意味を強調しています。
「冷酷」の例文
- 利用価値がなくなると見るとさっさと敵の陣営に寝返りやがって。あいつは冷酷な人間で信用できない。
- 上司に責任を転嫁して、自分は素知らぬ顔でいる先輩。冷酷な人だと皆から嫌われている。
- 冷酷無情な同僚は、ずっとお付き合いしていた女性を打ち捨てて、取引先の娘さんと結婚した。
「冷」や「酷」を使った他の熟語と「冷酷」との違い
「冷酷」と似たような漢字を使って混同しやすい熟語を紹介し、それぞれの違いや意味について説明します。
「冷徹」と「冷酷」の違い
「冷徹」(れいてつ)とは、感情に左右されずに理性的に鋭く物事を見通すことです。「冷酷」のように人の良くない性格を表すネガティブな意味では使われません。むしろ、根本まで丁寧に落ち着いて見て、物事を判断している良い面がうかがえます。
この「冷徹」の「冷」は「冷静」などで用いられるのと同じく、熱くなりすぎずに落ち着いていることです。「徹」は貫き通すという意味で、終始落ち着いて物事にあたるさまがイメージできますね。
「冷淡」と「冷酷」の違い
「冷淡」(れいたん)はある物事に興味や関心を示さない様子から転じて、人に対する同情心や親切心を見せないこと、言い換えると思いやりがない様子をいいます。
言葉の意味は似ていますが、「冷酷」のように他人にむごい仕打ちをすることはありません。冷たい人ではありますが、人付き合いに距離を置いて、自分に余計な労力がかからないようにしているようにも取れますね。
「残酷」と「冷酷」との違い
「残酷」(ざんこく)は、人への思いやりが全く感じられず、相手を平気で苦しめる様子をいいます。また、直視できないようなひどい仕打ちをするさまを指す場合もあります。
この場合の「残」はむごいこと、虐げる(しいたげる:むごい扱いをして苦しめるという意味)ことを表しています。「残」と「酷」と同様の意味の漢字を重ねて強調している熟語ですね。
両方とも非常に似た意味の熟語ですが、「冷酷」では、心の冷たさと振る舞いのむごさの両面を表しています。一方、「残酷」はいかに手ひどい仕打ちをしているかについて、焦点を当てています。
「冷酷」の類語
無慈悲
「無慈悲」(むじひ)とは、人に対する思いやりや憐れみ(あわれみ:可愛そうだと思う心)などの心が全く感じられない様子のことです。「冷酷」と似ていますが、相手に対して積極的に手厳しくするという点には言及していません。
【例文】:彼女は無慈悲な人で、困っている人に手を差し伸べようともしない。
血も涙もない
「血(ち)も涙(なみだ)もない」とは、人間味が全く感じられないことを比喩的に表す言い回しです。思いやりがない、優しさのかけらもないといった意味で、「冷酷」と同じように使えます。
普通の人には、血の通ったような温かい心や感情を動かされた時に流す涙が感じられるのですが、そのような様子が全くないような感じがするのでしょう。「血も涙もない」とは、同じ人間として見られていないとでもいうような雰囲気ですね。
【例文】:あいつは血も涙もない守銭奴だ。もう少し待ってくれというのに、商売道具を代わりに持って行きやがった。