「沙」の読み方と成り立ち
読み方
「沙」の読み方は以下の通りです。
- 音読み…サ・シャ
- 訓読み…すな・いさご・よな-ぐ・よな-げる
成り立ち
「沙」は、会意文字(それぞれの字の意味を組み合わせて作られた漢字)です。「水」を表す「氵(さんずい)」と「少ない(すくない)」から成り、川辺や海辺などの水が少ない場所で見えるもの、すなわち「すな」を表しています。
「沙」の意味と使い方
現代では「沙」の代わりに「砂」を用いていることが多いです。
すな
浅い水辺にあるとても小さな石の粒「すな」を表し、「沙」1字で細かいすなを表す「いさご」とも読みます。「さとう(沙糖)」のように、すなに例えられるような細かい粒状の物を指す場合もありますが、現在では「砂」の字が当てられ、「沙」を使用する例が少なくなっています。
水辺の砂がある場所
「沙」は、水辺のすなが目立つ場所という意味でも使われます。海辺の「砂浜」、川や海、湖など水辺と「すな」が接する「波打ち際」「汀(みぎわ)」などです。
「沙渚(さしょ)・沙汀(さてい)」は、砂浜や砂地、川の中の砂地の中洲などを指し、「沙鷗(さおう)」は、浜辺にいる鷗(かもめ)を表します。
【例文】
- 水かさが増している時、沙渚での釣りは危険だ。
- 群れをなしている沙鷗は、釣果を狙っているように見える。
砂地の原野
「沙」は、水も植物も見当たらない、砂地の原野を指すこともあります。「沙漠(さばく)」は、砂や岩などしかない広い場所のことですが、現代では「砂漠」という表記が一般的です。
「沙場(さじょう)」は、砂の平原や戦場になった砂漠地帯を指し、「沙磧(させき)」は、砂や石などで覆われている地面(砂漠や石だらけの河原を形容する言葉)、「沙塞(ささい)」は、北方や西方の砂漠にある砦(とりで)、また、その周辺に住む異民族を表しています。
【例文】
- この周辺は昔は沙場で、敵方に滅ぼされた場所だ。
- 砂漠にぽつんと取り残された沙塞が目立つ。
選り分ける(よなげる)
「沙」は、水中で細かい物を選り分ける、すなわち「よなげる」という意味でも使われます。この「よなげる」動作の由来は、川底の砂をすくい上げて水中に入れたまま揺すって、砂と砂金を選り分けたところから来ているという俗説もあります。
また「沙汰(さた)」という言葉は、元々は細かいものを選んで分けることです。「汰」にも水からすくって洗い出し、役に立つものだけを選ぶことを表すので、同じ意味を重ねて強調している熟語です。
現在では、派生した「良し悪しなどの処置を決める、処置の結果を通知する」「事件、行い」「評判、便り」といった意味で使われることが多いです。
【例文】
- お白州の結果は、追って沙汰する。
- 正気の沙汰とは思えないやり口だな。
外国語「サ」「シャ」の当て字
外来語を置き換えた際の漢字表記に、「沙」を「サ」や「シャ」の当て字に使いました。主に仏教用語、サンスクリット語の音を取り入れた語句に用いられます。
【サンスクリット語の当て字の使用例】
- 曼珠沙華(まんじゅしゃげ):彼岸花の別名
- 沙羅双樹(さらそうじゅ・しゃらそうじゅ):釈迦が入滅した時に白色の花を咲かせた木
- 毘沙門天(びしゃもんてん):北方を守る仏教の神で、別名「多聞天(たもんてん)」
「沙」を使った語句と意味
沙魚
「沙魚」(はぜ)は、海水と川水が混じった汽水(きすい)域や、河口付近の海岸に生息している魚です。腹ビレが吸盤状になり砂底に張り付くように見えることから、「沙」の字が当てられたと見られています。
【例文】
港湾で沙魚を釣って天ぷらにした。
ご無沙汰しております
「ご無沙汰しております」の「無沙汰」は、便りや知らせが無かったことを表しています。敬語として、かねてから目をかけてもらった目上の方などになかなか会えなかったり、手紙を出していなかったりする無礼を詫びるときの挨拶に使います。
【例文】
ご無沙汰しております。転勤後はなかなか伺えず申し訳ございません。
沙翁
「沙」の外来語の当て字としては珍しく、イギリスの人名に当てられています。「沙翁」(さおう・しゃおう)は、イギリスの劇作家シェークスピア(Shakespeare)のことです。他の当て字「沙吉比亜」もあり、「沙翁」は略称です。
【例文】
沙翁の『マクベス』と『オテロ』はヴェルディ作のオペラにもなっている。
恒河沙
「恒河沙」(ごうがしゃ)は、数え切れない無数のものという意味です。数の単位でいうと、「10の52乗」もしくは「10の56乗」と言われています。
「恒河」が、サンスクリット語でガンジス川を表す当て字、「沙」が川のすなです。広いガンジス川には無数のすなが堆積していることから、数え切れないことに例えているのでしょう。
仏教の経典の中には、「もろもろの仏の数は恒河沙のように多い」「恒河沙くらいの衆生が仏様の教えを聴きに来る」のような表現で使われています。