「嘲る」とは
「嘲る(あざける)」とは、人のことを軽蔑したり、馬鹿にしたりすることです。また、古典では、まわりのことを気にせずに声を上げる、詩歌を吟ずる、たわむれるという意味でも使われています。
「嘲」は、口からつばを飛ばして話す声の擬声語(動物の鳴き声や物音を象形文字で表したもの)で、口(言葉)で人のことを笑う、たわむれるという意味に転じたと言われています。また、「朝」は音符として使われていて、特に意味はないようです。
「嘲る」の使い方
「嘲る」は、意味からわかるように、人に対する軽蔑などの悪感情を含んだ言葉です。そのため、本人に面と向かって「嘲る」言葉を言うことはあまりなく、陰で使うことが多いでしょう。
【例文】
古典の用例
今はあまり使われていない「嘲る」の古典の用例を、『今昔物語集』と『後拾遺集』からご紹介します。
【まわりのことを気にせずに声を上げる】『今昔物語集』より
【詩歌を吟ずる】『後拾遺集』より
「嘲る」の類語
「嘲笑する」
「嘲笑(ちょうしょう)する」とは、人を嘲って笑うこと、馬鹿にして笑うことです。「笑」が入ることで、「嘲る」の馬鹿にする意味が強まっているようにも聞こえます。「嘲る」は、会話で使われることが多いですが、「嘲笑」は、文章に使われるほうが多いようです。
【例文】
- いつも身だしなみにうるさい課長がベストを裏向けに来ていたため、みんなが陰で嘲笑していた。
- 他人から馬鹿正直だと言ってどれだけ嘲笑されようとも、私は生き方を変えようとは思わない。
「小馬鹿(小莫迦)にする」
「小馬鹿・小莫迦(こばか)」は、ちょっと馬鹿なこと、または、そのような人のことです。「小馬鹿(小莫迦)にする」という表現で、相手のことを馬鹿にして軽く扱う、軽蔑する、侮辱するといった意味になります。「嘲る」態度と同じですね。
【例文】
- あいつの人を小馬鹿(小莫迦)にするような態度が気に入らない。
- 大したことをしていないのに、拍手喝さいで囃し立てられるのは、なんだか小馬鹿(小莫迦)にされているようで不愉快だった。
「嗤う」
「嗤う(わらう)」は、あざ笑う、嘲笑することです。「嗤」は、音読み「シ」、訓読み「わら-う。あざわら-う」と読みます。「口」は、歯をむき出して笑う声を表す擬声語です。「蚩(シ)」は、虫を表すようですが、音符として使われているだけで特に意味はないようです。
一説には、花が咲く様子を表した「咲う(わらう)」が、「笑う」と「嗤う」の由来と言われています。花が咲くことを「花がほころぶ」と言いますが、同じように笑顔になることを「顔がほころぶ」と言いますね。そこから来ているというものです。
しかし、いつの間にか「嗤う」は、「嘲る」と同じように相手を馬鹿にして笑うという悪い意味で使われるようになり、良い意味の「笑う」と使い分けられるようになりました。
【例文】
- 彼の提案があまりにも突飛だったので、みんなが嗤うと、彼は不機嫌になって黙り込んでしまった。
- 弱虫のおまえが俺に歯向かうなんて、100年早いと鼻で嗤われてしまった。