「感慨」の意味とは?
「感慨」(かんがい)は物事に直面した際に深く心に感じることや、しみじみと(意味:心の奥底から)感心するようなさまをいいます。
「感」のこの場合の字義はあることに触れて心が動くこと、「慨」には憤るや嘆くなどの字義もありますが、ここでは気持ちが高ぶるといったことを表します。
「感慨」の使い方
「感慨」は、単に心のうちで思うのではなく、非常に強く感動したことを表す時に使われます。対象となった物や人のことについて好ましい印象を持っていることが多く、ネガティブな意味で「感慨」を使うことはあまり多くないでしょう。
ある物事について、何らかの「感慨を持つ」「感慨に打たれる」「感慨を抱く」「感慨を覚える」などなど、さまざまなかたちで使えるほか、否定的ニュアンスでは「何の感慨も湧かない」といった使い方もできます。
「感慨」については、よく聞かれる慣用的な用例もありますので、以下にさらに詳しくご紹介します。
「感慨」を使った慣用的な用例・例文
【用例】
- 感慨無量(かんがいむりょう)…計り知れないほど深く心に感じる[感無量(かんむりょう)は省略された形]
- 感慨深い…深く身にしみて感じ入る
- 感慨も一入(ひとしお)…ある物事により、しみじみとした感情をいっそう強くする
- 感慨に耽る(ふけ-る)・感慨に浸る(ひた-る)…しみじみと思う・心の底から感じ入る(懐かしさが入り混じったような思いを表すこともある)
- 感慨を込める(こ-める)…何かをする時に、深く思う気持ちを十分に入れる
【例文】
- このような素晴らしい賞をいただけて、感慨無量です。
- 祖父母は、「あの子がこんなに立派になって」と感慨深い様子だった。
- もう会えないと思っていた人に会うことができて、感慨も一入だった。
- 父は古いアルバムを見て、感慨に耽っていた。
- 引退を迎えた選手は、ファンや関係者に向けて感慨を込めてスピーチをしていた。
「感慨」の類語・似た言い回し
胸を打つ/胸を打たれる
「胸を打つ」(むねをうつ)とは、強く感動すること。受け身の助動詞が付いた「胸を打たれる」という形でも使われます。この場合の「胸」は心や気持ちのことで、「打つ」は強い刺激を与えることや強く心を動かすことなどを表します。
【例文】
- 彼の献身的な行動は、人々の胸を打った。
- あの人気ドラマのラストシーンで、敵役の演技に胸を打たれた。
琴線に触れる
「琴線に触れる」(きんせんにふれる)とは、良いものや素晴らしいことなどに触れて感動すること、もしくは共感することを表す言い回しです。「琴線」はもともと琴の糸のこと。糸に触れると音が鳴ることから、感じやすい心を表現するようになりました。
【例文】
- 彼女の弾くベートーヴェンの「月光」は、心の琴線に触れると評判だ。
- 恩師のスピーチは彼の心の琴線に触れる素晴らしいものだった。
感に堪えない
「感に堪えない」(かんにたえない)とは、非常に感動して、その気持ちを(表情や態度、振る舞いなど)表面に出さずにはいられないことをいいます。「堪えない」とは、この場合は我慢できない、こらえることが難しいといった意味です。
【例文】
- プロポーズをして返事がもらえた時は誰でも、感に堪えないような表情になるんだろうね。
- 彼は大勢の前で業界の重鎮から声をかけられ、感に堪えない様子だった。