「感慨にふける」とは?
「感慨にふける」を理解するために、「感慨」と「ふける」の意味を、それぞれ解説していきます。
「感慨」の意味
「感」は、感情、感覚、感傷、感想、などに用いられるように、「心に感じる」ことを表す漢字です。「慨」は、心を揺さぶられるような思い、悲しみ、などを意味する漢字です。
すなわち、この二つの字が合わさった「感慨」は、物事に心が深く感じ入り、しみじみとした気持ちになること、胸に想いが迫るように身に染みて感じることを意味します。
「ふける」の意味
「ふける」は「耽る」と書きます。意味は、ひとつのことに、他を忘れるくらいに熱中し、夢中になること。空想に耽る、ゲームに耽溺(たんでき)する、などにも同じ意味で用いられていますね。
「感慨」+「ふける」の意味
したがって、「感慨にふける」とは、物事に心が深く感じ入り、そのようなしみじみとした思いや余韻に浸りきるさまを表しています。
「感慨にふける」の使い方
(A男)
昨日は娘の結婚式だった。泣くまいと思っていたのに、やはり花束贈呈で涙腺決壊さ。よい娘に育ったものだと、今でも感慨にふけっているよ。
(B子)
会社勤めの合間にこつこつと小説を書き続けた20年目に、ある新人賞を受賞したんです。それまでの年月が蘇って感慨にふけるばかりでした。
(C男)
子供のころから富士山を仰いで育ってきたのだから、初めてその頂上に立ったときは、感慨にふけらざるをえなかったよ。
「感慨」の他の使い方
「感慨」は、今回の「感慨にふける」以外にも、多くの用法をもちます。その例を挙げていきましょう。
- 感慨深い:感慨をより深く感じている状態。【文例:この車は、10年がかりのプロジェクトの結晶としての新商品です。発売日の今日は、感慨深い一日です】
- 感慨に浸る:しみじみとした気持ちにすっかり感じ入り、浸ること。【文例:母校の中学校を久しぶりに訪れたら、無鉄砲だけど楽しかった日々が蘇り、感慨に浸るばかりだった】
- 感慨を抱く:しみじみとした気持ちになること。【文例:勉強机の引出から初恋の女性の写真が出てきて、しばし感慨を抱いた】
「感慨にふける」の類語
「感無量」
「感無量(かんむりょう)」の「無量」は、はかりしれない、という意味です。「感無量」はもともとは「感慨無量」であり、現在はその省略形のほうが広く用いられるようになりました。
したがって「感無量」は、なにかが心に深く染み、感じ入ることがこのうえない(はかりしれない)、という意味の言葉です。
【文例:心配ばかりかけてきた両親は、僕が初任給でプレゼントしたウェッジウッドのペアカップを、感無量といった表情で眺めていた】
「感に耐えない」
「感に耐えない」とは、非常に深く感動し、その思いを表に出さずにいられないことです。「感慨にふける」で蘇る思いでは、ネガティブ・ポジティブ双方がありえますが、「感に耐えない」その対象の多くは、喜びや感謝などからの感動です。
【文例:結婚式での恩師からの祝辞は、愛情にあふれた感に耐えないものだった】
「感傷に浸る」
「感傷に浸る」とは、物事に深く感じ入って心を痛めることを意味する言葉です。「感慨にふける」と異なる点は、心が切なく痛むような気持ちや、センチメンタルな憂いに浸る感情に限って用いられる点です。
【文例:年を重ねると、若い日々に多くの人たちを悲しませた自分の言動が思い出され、感傷に浸ることが多くなった】
「感慨にふける」のまとめ
「感慨にふける」をさまざまな角度から見てきましたが、この言葉には、過去と現在が入り混じっています。過去の日々と、そこになんらかのかたちで関わる自分。そこから立ち上る記憶が、今の自分の心に深く響いてくるのです。
「感慨にふける」ことができるのは、生々しい体験や感情が一種のノスタルジーとなりえたからこそです。そこに、人生の醍醐味があるのではないでしょうか。