「轍」とは?
「轍」という漢字は、音読みでは「テツ」、訓読みでは「わだち」と読みます。未舗装の道などではくっきりと残る、「通り過ぎた車輪の跡(=わだち)」を指し、そこから転じた「筋道、行き方、先例」といった意味も持つ言葉です。
物理的な「痕跡」と、抽象的な「先人のたどった道」という意味の両方を持つという点でも、「足跡(あしあと、そくせき)」の類語であると言えます。
現代日本では、未舗装の道が減ったこともあり、「車輪の跡」という意味ではなく、比喩的に「筋道、先例」と用いられる機会が多い言葉です。
「轍」の使い方
「轍」が、物理的な車輪の跡を表す場合は、「ぬかるみに車の轍が残る」などと使うでしょう。しかし、上述の通り、このような使い方はあまりみられません。ここでは、「轍」が比喩的に用いられる表現をみていきましょう。
「轍を踏む」
「轍(てつ)を踏む」は、「同じ轍を踏む」とも言い、前人の犯した失敗を繰り返すことを指す言葉です。
「失敗を繰り返す」までが意味に含まれているので、ネガティブなニュアンスに限定されます。単に「先輩と同じ道を歩む」という意味では使うことができないので、注意しましょう。
昨今、「二の轍を踏む」という表現をよく見かけますが、これは「二の舞を演じる」「二の足を踏む」といった言葉と混同した誤用です。
【例文】
十分な準備を怠って遭難した先発隊の轍を踏むわけにはいかない。慎重に行動しよう。
「古轍」
人気ドラマ『相棒』シリーズで、刑事部長、内村完爾(うちむらかんじ)のオフィスに、「古轍」という書があるのをご存知ですか?出典は、曹洞宗の宗典『宝鏡三昧』にある、「要合故轍 請観前古(=故轍に合(かな)わんと要せば、請う前古を観せよ)」という言葉です。
「古轍(こてつ)」は、「故轍」とも書き、以下の3つの意味を持つ言葉です。
- 以前に通り過ぎた車のわだち、古いわだち。
- 前人の行った通りの方法や様式。昔ながらのしかた。前例。
- 仏語(釈迦の言葉)。古の聖人の行った行跡。古聖の軌轍。
「古轍を踏む」には、「同じ轍を踏む」が持つネガティブな意味はありません。どちらかと言えば、「先人の教えを守る」というような、ポジティブなニュアンスです。古人の歩んだ足跡をたどりたいと思うのならば、自らの過去を顧みて反省する必要がある、という教えを表しています。
内村完爾は、主人公、杉下右京の奇才、奇人ぶりを嫌う「警察官僚」の代表として描写されています。その彼が掲げる書として考えると、なかなかに面白いものがありますね。
「轍鮒之急(てっぷのきゅう)」
『荘子 外物(そうし がいぶつ)』の中に、「轍鮒之急(てっぷのきゅう)」というエピソードがあります。ここでは「轍」を、抽象的な「道筋」としてではなく、「車輪の跡」という意味で用いています。
「轍鮒之急」の概要
あるとき、荘子(そうし)が食べるのに困るほど困窮し、知人に援助を求めると「近く年貢が入る。そうすれば大金を貸すことができる」と言われました。
それに対して、荘子は「自分がここを訪れる途中、轍(わだち)のくぼみにたまったわずかな水の中で苦しんでいる鮒(ふな)に、『そのうち長江の水で助けてやろう』と言ったら、『水が欲しいのは今だ』と鮒が怒った」と答えたのです。
本当に苦しんでいるときに、「未来に大いなる救いがある」という約束など何の意味もありません。状況を理解していない知人の言葉は、荘子には不誠実なものに聞こえたのです。
このエピソードから、「轍鮒之急」という言葉は「危険や困難が目の前に迫っている状況」を表すようになりました。同じ由来、意味を持つ言葉として「轍鮒(てっぷ)」「轍魚(てつぎょ)」「轍の鮒(わだちのふな)」などがあります。