「同じ轍を踏む」の意味
「同じ轍を踏む」は「おなじてつをふむ」と読みます。「轍」は「わだち」とも読み、車が通って道に残した車輪の跡の事を指します。よく田んぼでリアカーを引っ張ったあとに車輪のあとが土にくっきり残る事があります。それが「わだち」です。
経験した事がある人はわかりますが、くっきりした轍が残るような道はかなりの悪路で、大きく凹んだ轍に入り込んでしまうとなかなか外れることはできません。
もしその轍を残した車がその先で転倒していたとしたら…轍を踏んだ車も同じように転倒することでしょう。「同じ轍を踏む」とはこのような様子が転じて、「先人の失敗と同じ失敗を繰り返す」という意味を持ちます。
「同じ轍を踏む」の使い方
「同じ轍を踏む」の使い方を例文を用いて見ていきましょう。
【例文】
- 前回の模試で間違った箇所を入念に復習したにも関わらず、今回の模試で同じ轍を踏んでしまい後悔してもしきれない。
- 知り合いの先輩は部活に没頭するあまり勉学がおろそかになってしまい、その結果受験に失敗してしまった。僕は先輩と同じ轍を踏むまいと誓った。
轍はもともと「跡」を意味するので、それを辿る(踏む)という時に「同じ」と言う必要はありません。しかし、現代では轍というもの自体がイメージしにくくなっているため、「同じ」をつけて表現されることが多いようです。
- 友人の轍を踏まないように気を付けていたのに、どうしてこうなったのか。
「同じ轍を踏む」の類義語
「二の舞を演じる」
「二の舞を演じる」は「にのまいをえんじる」と読みます。意味はやはり「前の人の失敗を繰り返す」ことです。「二の舞」とはそもそも雅楽に由来しています。
雅楽の1つである「安摩」の舞の後に、「咲面(わらいめん)」と「腫面(はれめん)」を付けた2人の人物が安摩の舞をわざと失敗しながら真似て演じます。この滑稽な舞が「二の舞」です。ここから転じて「失敗を繰り返す」という意味になりました。
また「二の舞を踏む」と使う人がいますが一般的には誤用とされています。しかし雅楽の世界では「初舞台を踏む」と表現されるように「舞を踏む」ことは間違いではないため、「二の舞を踏む」も完全に間違いとは言い切れません。
さらに「二の轍を踏む」という言葉を最近ネット上で見かけることがありますが、これは完全に誤用です。しかし何となく意味が通じてしまうことから、このような造語がネット上には溢れています。
「二度あることは三度ある」
「二度あることは三度ある」には以下のような意味があります。
- 二度あったことは必ずもう一度繰り返されるものである。
- 物事には反復する傾向があることのたとえ。
二度同じ失敗をしたら三度目もあるから気をつけなさいというような警鐘の意味で使われます。「同じ轍を踏む」と違う所は、失敗の原因が自分にあるとは限らない点です。自分の意思に関係なく失敗を繰り返してしまう時は「二度あることは三度ある」を使います。
「同じ轍を踏む」を英語で
「同じ過ちを繰り返す」という意味ならば「make the same mistake (as ~did before)」が理解されやすい英語ではないでしょうか。
【例文1】
- He was careful, but he ended up making the same mistake as I did before.
- 訳:彼は気を付けていたが、私と同じ轍を踏んでしまった。
【例文2】
- I looked back on what my boss told me the other day, but today I made the same mistake again and again
- 訳:先日上司に注意された箇所を見直したが、今日同じ轍を踏んでしまった。
より日本語の表現に近付けるなら「follow the same path」(同じ道を辿る)という表現も可能でしょう。この場合は「失敗」という意味合いは含まれませんので補う必要があります。
【例文】
- He followed the same path as me and ended up in failure.
- 彼は私と同じ道を進んで失敗に終わった。/彼は私と同じ轍を踏んだ。