「朴念仁」の意味
「朴念仁(ぼくねんじん)」は、日本で作られた漢語である和製漢語と言われることもある言葉です。無口で愛想がない人や人情や物事の道理がわからない人という意味があります。
「愛想」とは「他者に好感を与えるような接し方や親しみの気持ち」、「道理」とは「物事のあるべき道筋」という意味です。そこから意味が転じて、「周囲からどう思われるかを気にしない人」「察しが悪い人」という意味で「朴念仁」が使われることもあります。
さらに恋愛においては、自分に対して向けられている好意に気がつかない鈍い人のことを指して「朴念仁」と言うこともあります。
「朴念仁」の由来
「朴念仁」の「朴」には「素朴」「素直」「飾り気がない」という意味があり、「念」には「思い」「考え」という意味があります。そして、「仁」は「思いやり」「人」といった意味を持つ漢字です。
これらの意味から、「朴念仁」はもともと「素直で飾り気のない考えを持つ人」という意味で使われていましたが、この意味が転じて、「無愛想な人」や「物わかりの悪い人」を表すようになったと考えられているようです。
また、「朴」は「朴(ほお)」というモクレン科の落葉高木のことでもあり、「木のような心の人」という意味から、「言葉数が少なく無愛想な人」を表すようになったとも言われています。
「朴念仁」の使い方
「朴念仁」は、男性に対して使う言葉とされています。そのため、女性に対して使われることはほぼ無いと言えるでしょう。また、話し言葉よりも書き言葉として使われることが多いようです。
例文
- 彼は周りの人たちからどう思われようとまったく気にしない朴念仁だ。
- 私の祖父は、この辺りでは聞き分けのない朴念仁として有名な人だ。
- 彼は朴念仁だから、彼女の好意にはまったく気がつかないだろう。
「朴念仁」の関連語
わからずや(分からず屋)
「わからずや(分からず屋)」とは、物事の道理がわからない人のことです。また、聞き分けのない状態のことも意味します。「聞き分け」とは、人の話を聞き、納得してその話に従うことです。
誰かが道理を説いても理解しない人や、周りの状況の変化に柔軟に対応することができず、自分の考えなどを変えない人などに対して使われることが多い言葉です。
また、「わからずや」は「没分暁漢(ぼつぶんぎょうかん)」という当て字で表記することもできます。「没分暁漢」の「没分暁(ぼつぶんぎょう)」は「物わかりが悪いこと」、「漢」は「男」を意味します。
【例文】
- わからずやである私の父は、いろいろな人と言い争いになってしまうことが多い。
- 彼の弟はわからずやで、家族全員が手を焼いているらしい。
頑固(がんこ)
「頑固(がんこ)」とは、人の言うことを聞かず物事の変化も無視して、自分の考えや態度を押し通そうとすることです。
また、「しつこくてなかなか排除できない。なおりにくい」という意味もあり、落ちにくい汚れや治りにくい症状などをさして「頑固な汚れ」「頑固な症状」と言うこともあります。
ちなみに、「頑固」を用いた表現に「頑固一徹(がんこいってつ)」という四字熟語があります。「頑固一徹」も「自分の考えや態度を強く主張して最後まで押し通すこと」を意味する言葉です。「一徹」には「ひとすじに思い込む」という意味があります。
【例文】
- 父の頑固なところは祖父によく似ている。
- いつまでも自分の意見を頑固に言い張ることで、周囲にどれだけの迷惑をかけているか、彼は気づいていないようだ。
ぶっきらぼう
「ぶっきらぼう」は、「ぶっきら棒」と書くこともでき、物の言い方や態度に愛想がないという意味があります。
相手に対してきつい態度や冷たい態度で接したり、まったく興味が無いかのように好意的でない言動をしたときなどに、自分や相手に対して用いることのできる表現です。
【例文】
- 彼のぶっきらぼうな態度はいつものことだから、気にする必要はないよ。
- 嫌いな相手だったとはいえ、あのようにぶっきらぼうに答えるのは良くなかった。
にべも無い
「にべも無い」は、「思いやりがない。愛想がない。そっけない」という意味の言葉です。漢字で書くと「鮸膠も無い」となります。「鮸膠(にべ)」とは、スズキ目ニベ科の魚などの浮き袋から作った粘着力の強いゼラチンである膠(にかわ)のことです。
粘着力の強さから転じて、「鮸膠」は「他人に親密感を与えること」という意味を持ちます。そして「鮸膠も無い」は、「人間関係を保とうとする粘り気がない」ことを意味し、そこから上記のような意味でも使われています。
【例文】
- 今回もまた、にべも無く断られてしまった。
- 彼の私に対するにべも無い態度は、昔から変わることがない。