「諦念」とは?意味や使い方をご紹介

「諦念」の「諦」は「諦(あきら)める」という意味で馴染み深いですね。いわゆる「あきらめる」ことも表しますが、仏教の考え方を背景に持つ、奥が深い言葉でもあります。今回は「諦念」の意味と使い方について、類語も含めてご紹介します。

目次

  1. 「諦念」とは?
  2. 「諦念」の使い方
  3. 「諦念」の類語

「諦念」とは?

「諦念」の意味は以下の2つです。

  1. 真理を諦観する心、道理を悟り迷わない心。
  2. あきらめる気持ち。

「諦念」は、(ていねん)と読みます。仏教の言葉として使う場合は、(たいねん)と読みます。まずは、「諦」の字義をみていきましょう。

「諦」は、音読みが(てい・たい)、訓読みが(あきら・める、つまび・らか、まこと)。意味は、①明らか、つまびらか、②あきらめる、断念する、望みを捨てる③真理、まことの3つです。

形声文字で、もともとは「明らかにする」ことを表しました。この「明らかにする」が「明らめる」に、さらに「あきらめる」に発展したとされています。「断念する」という意味もここから派生したものですが、詳しくは次項で紹介します。

仏教における「諦」

仏教において「諦」は、真理悟りを意味する重要な語です。上述した「諦」の字義③にあてはまりますね。たとえば、仏教の基本的な教えのひとつ「四諦(したい)」は、苦集滅道という四つの「真理」を指しています。

また、仏教で「あきらめる」は、「真実を明らかに、つまびらかにみる」ことを表します。なぜそのような結果になったのか、原因をまっすぐに見て、事実を受け入れる、というイメージですね。このニュアンスが、「諦念」の1の意味に繋がっています。

今日のように「断念する」という意味はなかったのですが、納得した上で悪い状態を受け入れる、仕方がないと断念する、とネガティブに使われるようになりました。こちらは、「諦念」の2の意味ですね。

「諦念」の使い方

「諦念」の代表的な言い回しとしては、「諦念に達する」「諦念に至る」「諦念を覚える」「諦念をもつ」などがあります。文法的には「諦念をする」ですが、現代では、助詞の「を」を省いて「諦念する」と使われることも多いでしょう。

「諦念」を1の意味で用いる場合は、「悟りを開く」に近いイメージです。他方、2の意味で用いる場合は、単に「諦める」の言い換えというよりは、もう少し深みがあるかもしれません。それゆえ、世俗的な「諦め」に使うにはやや重い感じがあります。

加えて、文語的で硬い印象が強いことから、会話に用いるにはハードルが高いでしょう。小説などにおいては、しばしば見られる表現です。

「諦念」の文例

  • 僧侶は、厳しい冷静修行を重ねたのち、ある日の瞑想のさなかに諦念に達したという。
  • 諦念を持ち、気持ちを乱さず穏やかに過ごしたい。
  • 紛争によって母国へ帰れないという女性は、諦念を含んだ声で現状を語った。
  • 権力や派閥に振り回される人生に諦念を覚え、彼は隠居生活に入った。
  • 彼女は弁護士への道を諦念したわけではないようだ。

「諦念」の類語

「諦観」の意味と使い方

「諦観」は、(ていかん)と読みます。仏教用語では、(たいかん)とも読みます。意味は、①物事の本質を明瞭に見極めること、全体を見通して事の本質を理解すること。②悟りあきらめること、悟って超然とした態度をとること

②の超然した態度というのは、ありのままを全て受け入れた上で、迷いや不安のない穏やかな状態、といった様子を思い描くとよいでしょう。

【例文】

  • 大病を克服して以来、人生の山谷を諦観できるようになり、結果として以前より健康な心身となれたのだった。
  • 自営の会社が倒産寸前となったとき、諦観の境地に至り、目の前にある仕事をひとつひとつ確実に積み重ねることだけを続けた。


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