「戦巧者」とは
「戦巧者」を<せんこうしゃ>と読んではいけませんよ。<いくさこうしゃ>と読みます。「戦巧者」は「戦」と「巧者」という二つの言葉から成り立っています。
「戦」は「戦争・合戦」または「兵士・軍勢」、「巧者」は「手馴れていて巧みな人やその様子」を指しています。よって、「戦巧者」とは、「巧みに戦う人」、いわゆる「戦上手(いくさじょうず)」のことです。
しかし、戦国時代のような戦が現代において起こるわけではありませんから、今時の世情を考えれば「勝負事に強い・競争力がある、または、そのような人」を指すと言えるでしょう。
「戦巧者」の使い方
「戦」は戦争や合戦という意味ですから、「戦巧者」は、たった1人で100人の敵を斬り伏せる猛者というより、100人の兵を率いて1000人の敵兵を打ち破る将や軍師というニュアンスで用いられます。
【使用例】
- 彼は戦巧者として名高い武将だった。
- 彼ほどの戦巧者がこんな無謀な戦いをするはずがない。
- このような絶好の機会を逃すとは、お世辞にも戦巧者とは言えないな。
「戦巧者」の英語表現
- battlewise:戦慣れした・百戦錬磨の
- skilled in battle:戦闘において腕が立つ・熟練した
- experienced warrior:経験豊かな戦士・老練な武士・百戦錬磨の戦士
「戦巧者」の用例
『新書太閤記 第九分冊』
吉川英治『新書太閤記 第九分冊』
「又左(またざ)」とは戦国時代の武将、前田利家のこと。引用したのは、「ふらっと御内儀(妻・まつ)の顔を見に寄った」というていで利家の居城を訪れた羽柴秀吉が、ご亭主(利家)の力を借りたいとまつに話している場面です。
『三国志 孔明の巻』
吉川英治『三国志 孔明の巻』
曹仁(そうじん)は曹操の元で騎兵隊長を勤めた将。曹仁は、劉備が駐屯する荊州の新野に侵攻しますが、撃退されてしまいます。この報告を受けた曹操は、曹仁を上回る戦巧者が劉備の配下に居ることに注目したのです。
曹仁を退けた策略は徐庶(じょしょ)によるものでした。徐庶は劉備に諸葛亮を推薦した人物です。のちに、徐庶は母を人質に取られたことで、曹操に下りました。
「戦巧者」の類語
「試合巧者」
「試合巧者(しあいこうしゃ)」とは、「試合が巧みな人・達者に試合をする人」を指します。多くの場合、司令塔やゲームメーカというよりは、ゲームの流れの要所を抑えたプレイをするような人を言うようです。
「百戦錬磨」
「百戦錬磨(ひゃくせんれんま)」とは、たびたびの戦いにおいて鍛え上げられていること・経験豊かで優れた処理能力があることを指す言葉です。「百戦錬磨の強者(つわもの)」のような表現で用いられます。
「戦略」と「戦術」
上に引用した前田利家や曹仁、徐庶の例のように、「戦巧者」は軍や兵を巧みに操って勝利に導く人ですから、「戦略家」や「戦術家」もこれに類するに言葉と言えるでしょう。戦略と戦術はよく並べて論じられる言葉ですが、これらはどう違うのでしょうか?
戦略も戦術も、もともとは軍事用語です。戦略は、戦いに勝つための長期的・大局的な計略。戦術は、ひとつひとつの戦闘に勝つための具体的な方法を指しています。戦略は戦術の上位にある概念ということですね。
これが一般に用いられるようになると、戦略は組織運営や政治闘争などの長期的な方策。戦術は目的を達成するための具体的な手段といった意味になりました。
ですから、「戦略家」は大局を見据えて方針を決めたりシナリオを作る人、「戦術家」は具体的に計画を立てて実践できるようにする人という意味なのです。
「戦巧者の号令」
「戦巧者の号令」は、慣用句ではなく、ゲーム『三国志大戦』におけるスキル(キャラクタの能力)の一つです。呉の国に属するキャラクタの武力と知力が上がるというこのスキルを持っているのは、呉の武将、徐盛文嚮(じょせいぶんきょう)です。
実際の徐盛は、孫権から黄祖の侵攻阻止を命じられた際は、200の兵で数千の黄祖配下の軍勢を打ち破る。魏の曹丕が呉を攻めた時には、偽物の城壁を作って水軍が大勢いるように見せかけて曹丕を撤退させるなど武勲をあげました。