「遭遇」とは
「遭遇」の意味
「遭遇(そうぐう)」とは「思いがけない物・人・出来事に出会うこと」「偶然、巡り合うこと」という意味の言葉です。
「遭」という漢字
「遭」は音読みでは「ソウ」、訓読みでは「あ(う)」と読み、「あう・出会う・巡り会う」「巡る・囲む」などの意味があります。
「遭」は、「辶(しんにょう)」+「曹」で成り立っています。「しんにょう」は「行く」の意、「曹」は「2つが相対する」の意があり、組み合わせることで「路上で2人が会う」ことを表しています。
「遇」という漢字
「遇」は音読みでは「グウ・グ」、訓読みでは「あ(う)」「たまたま」「もてな(す)」と読み、「出会う・思いがけなく出会う」「当たる・敵対する」「たまたま・思いがけず」などの意味があります。
「遇」は「辶(しんにょう)」+「禺」で成り立っています。「しんにょう」は「行く」の意、「禺」は「意志も目的もなく、なんとなくする」の意があり、組み合わせることで「思いがけなく出会う」ことを表しています。
「遭遇」の使い方
「遭遇」は会話の中ではあまり用いられませんが、文章中では、主に「遭遇する」の形で使われます。
- 山菜を採りに山に入ったら熊に遭遇した。
- 今回の作品は、未だ遭遇したことのない反響を得た。
- いかなる障害に遭遇しても悲観してはならない。
- 教室のドアを開けたら、緊迫した場面に遭遇してしまった。
「遭遇」の例文
『蒲団』
以下は田山花袋・作『蒲団』の冒頭の一文です。妻子ある作家の時雄が、弟子入り志願の芳子との手紙のやり取りから恋心を募らせ、何かしらきっかけがあれば妻子も世間体も師弟関係も捨てて恋に走ってしまうだろうと言っています。文中、「遭遇」には「でっくわ(す)」とルビが振られています。
機会に遭遇(でっくわ)しさえすれば、その底の底の暴風は忽(たちま)ち勢を得て、妻子も世間も道徳も師弟の関係も一挙にして破れて了(しま)うであろうと思われた。
『「語られる言葉」の美』
次にご紹介するのは、岸田國士が雑誌『悲劇喜劇』で書いた『「語られる言葉」の美』の冒頭の一説です。
日本人は口から耳に届く言葉には鈍感だとした上で、耳がある種の魅力に遭遇する快感を「語られる言葉の美」と名付けて話し始めます。
しかしながら、稀に、われわれの耳は、ある種の「魅力」に遭遇して、忘れ難き印象を留めるのである。
『首が落ちた話』
最後は芥川龍之介・作『首が落ちた話』からの引用です。この一説の後で、日本兵との戦闘に入った清国の軍人・何小二(かしょうじ)は首を斬られてしまいます。
何小二が、もし助かったらこれまでの過去を償うのにと後悔したところ、怪我が治り、元の生活に戻っていました。しかし、改めるどころか同じ罪を繰り返したところ、首が落ちてしまうというお話です。
十分ほど前、何小二(かしょうじ)は仲間の騎兵と一しょに、味方の陣地から川一つ隔てた、小さな村の方へ偵察に行く途中、黄いろくなりかけた高粱(こうりょう)の畑の中で、突然一隊の日本騎兵と遭遇した。
「遭遇」と「邂逅」
「邂逅」とは
「邂逅(かいこう)」は、「思いがけなく出会うこと」「偶然の出会い」という意味の言葉で、「旧友と邂逅した」のように用いられます。
「遭遇」と「邂逅」の違い
「遭遇」も「邂逅」も「偶然に出会う」という意味ですから、大きな違いはありません。傾向として、「遭遇」は好ましい出会いにも好ましくない出会いにも用いられ、「邂逅」は好ましくない出会いには用いられないとする向きもあります。
しかし、特にルールはないので「遭遇」も「邂逅」も、偶然の出会いが良いものであっても悪いものであっても、ただ出会ったことを表す場合にも使うことができます。
「遭遇」の類語
「遭遇」を言い換える言葉には、「鉢合わせ」「巡り会い」「出くわす」
「エンカウンター(エンカウント・エンカ)」などがあります。また、文章語で「遭遇」に類する言葉には次のような言葉が挙げられます。
「際会」
「際会(さいかい)」とは、「めったにない事件や機会にたまたま出会う」ことを指す言葉で、人に対しては用いられません。出会いは悪いことに限らず、「千載一遇のチャンスに際会する」のように、良い出会いに対しても使います。
「逢着」
「逢着(ほうちゃく)」は「出くわすこと」「行きあたること」という意味です。「しばしばこの問題に逢着した」のように、出会う対象は困難・難問・矛盾など、解決の必要があるものに限って用いられます。