「五十歩百歩」とは?意味や使い方をご紹介

本質的に変わらないことを「五十歩百歩(ごじっぽひゃっぽ)」と言いますが、なぜ歩数にたとえられるのか、みなさんはご存じですか?実は「五十歩百歩」は中国の故事に由来しています。本記事では「五十歩百歩」の意味や使い方を、語源と絡めて解説します。

目次

  1. 「五十歩百歩」の意味
  2. 「五十歩百歩」の語源
  3. 恵王の「五十歩百歩」
  4. 「五十歩百歩」の使い方
  5. 「五十歩百歩」の類語

「五十歩百歩」の意味

「五十歩百歩(ごじっぽひゃっぽ)」は比較的ポピュラーなことわざなので、耳にしたことのある方も多いでしょう。「少しの違いはあることはあるが、本質的には同じことだという意」のことわざです。

ところで、大した違いのないことを何故歩数にたとえて「五十歩百歩」と表現するのか、みなさんはご存じでしょうか。実は「五十歩百歩」は故事成語。今回は由来となった中国の逸話をもとに、「五十歩百歩」の正しい使い方をぜひマスターしていただきたいと思います。

「五十歩百歩」の語源

「五十歩百歩」の語源は、『孟子』の「梁恵王上」に見ることができます。孟子は古代中国は戦国時代の儒学者で、『孟子』は彼の言行録です。

『孟子』

ある時、魏の国の君主である恵王が孟子に訊ねました。「私は国のために心を尽くしているつもりである。不作の土地があればその地の民を豊作の地へ移し、移れぬ者のためには食糧を移動させている。近隣の国を含めても、私ほど国のために心を砕いている君主があろうか。しかし隣国から我が国へ移り住もうという者は現れない。それは何故か」

すると孟子は、次のように問いかけます。「王は戦がお好きですから、戦をもってたとえましょう。両軍入り乱れて戦っている最中、怖気づいて逃げ出した兵士がいたとします。ある者は百歩逃げたところで思い留まり、別の者は五十歩逃げて留まりました。五十歩逃げた者が、百歩逃げた者を笑うことが出来ましょうか?」

恵王は「それは出来ない。歩数の違いがあれど、どちらも逃げたことに変わりないからだ」と答えました。それを聞いた孟子は「その道理がわかるなら、自国と他国を比べることはやめましょう」と恵王を諭したのでした。

恵王の「五十歩百歩」

孟子は恵王に、王道の政治とは何かを説きました。その基本として挙げたのが以下のものです。

  • 民に土木作業を課さず、農業に従事させれば収穫に困ることがない。
  • 稚魚まで獲り尽くさなければ、将来の魚に困ることがない。
  • 節度を守って伐採すれば、材木に困ることがない。
  • 穀物と魚と材木に困ることがなければ、民が政治に不満を抱くこともない。
そのあと孟子はこう続けます。「民が一生飢えることも寒さに凍えることもない。それが王者の治世というものです。ところがどの国の為政者も、税を控えることを知らず、路上で飢える民があっても食糧を分けようともしない。それで人が死ねば不作や飢饉のせいにする。もう自然のせいにするのはおやめなさい」

実はこの頃、魏は他国との争いが増え、相次ぐ戦争によって民が疲弊していました。孟子が「王は戦が好きですから」と前置きしたのは、恵王の好戦的な性格に釘を刺す意味もありました。孟子は王に、小手先の善政を布いたところで、あなたの行いは他国と五十歩百歩ではないか、と言いたかったのです。

「五十歩百歩」の使い方

前述の語源を踏まえると、「五十歩百歩」が決してポジティブな言葉でないことはおわかりいただけるかと思います。

  • 弟たちがテストの点数で言い争っているが、3点と5点では五十歩百歩ではないか。
  • 先に殴ったのはA君だが、B君も相当挑発したそうだし、どちらが悪いかは五十歩百歩だ。
このように、いずれも大した違いなく悪い場合に「五十歩百歩」を使用します。

「五十歩百歩」の類語

「五十歩百歩」の類語に「どんぐりの背比べ」があります。「どれもこれも似たようなもので、大したものではないこと」を意味することわざです。一見違いはあるが本質的には変わらないという意味の「五十歩百歩」より、似たり寄ったりであることが強調されており、また「五十歩百歩」と違って3つ以上の対象を比較する場合にも使用できます。

「目くそ鼻くそを笑う」は「自分の欠点には気がつかないで、他人の欠点をあざ笑うことのたとえ」です。また「笑う者も笑われる者も大したことはない」という意味でも使われます。

ポジティブな比較

前述したことわざは、いずれも「どちらも悪い」というニュアンスを持っていましたが、「どちらもよい」と言いたいときは「甲乙つけがたい」という表現ができます。「どちらも優れているので1位2位が決められない」という意味の言葉です。

二字熟語であれば「匹敵」「互角」、四字熟語なら「実力泊中(じつりょくはくちゅう)」が「ともに優れている」というニュアンスで使用できます。

中立な比較

よい場合にも悪い場合にも使えるのは「大同小異(だいどうしょうい)」です。「細かな点は異なるものの、大体は同じである」という意味の四字熟語で、優劣とは関係なく使用できます。

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