「年号」と「元号」の違いとは?
多くの辞書では「年号」と「元号」は同じものと説明されているとおり、現在ではこれらに大きな違いはないとされています。一般的には区別することなく用いられているようですが、厳密には同じ意味ではないとする向きもあります。
「年号」の意味・使い方
「年号」とは、平成、令和といった「年につける称号」のことです。「この建物は、年号が大正にかわった頃に建てられた」「その事件が起きたのは1940年、年号で言えば昭和15年のことだった」のように使います。
歴史の授業で覚えた年号は西暦の年数だったのに…、と思う方もいらっしゃるかもしれませんね。「年号」を辞書で引くと、多くの場合、上記以外の意味は記されていません。
「年号を語呂合わせで暗記する」などの用法は慣用的なものでしょう。この場合の「年号」は、「歴史上で何かが起きた年」を指し、多くの場合は紀元年数で表されます。
「元号」の意味・使い方
「元号」も「年につける称号」のことで、一般的には年号と同じ意味です。「元号」は「新しい元号は2019年4月に発表された」「この手帳は元号と西暦が併記されている」のように用いられます。
しかし、「元」という字には「はじめ」という意味があるとおり、「元号」は天皇の即位からの年数を指すとする向きもあります。これが、年号と元号は厳密には同じではないという説の根拠です。
明治以降、君主一人につき一つの元号を制定する「一世一元制」(いっせいいちげんせい)が導入されました。これにより、天皇の在位中に改号されることがなくなり、年号と天皇の在位の期間が一致するようになります。
そのため、明治以降は公称として「元号」が使われるようになり、明治22年の『皇室典範』や明治42年の『登極令』でも「元号」と記されています。また、昭和から平成に変わったときには、昭和54年に制定された『元号法』という法律に基づいて元号が決められました。
「年号・元号」の歴史
ここでは、年号と元号を同じものとしてお話しします。日本で年号が初めて使われたのは、孝徳天皇が即位した645年の「大化」(たいか)だとされています。大化から令和まで、南北朝時代に二つに分かれた朝廷のそれぞれの年号も含めて、248もの年号が使われました。
世界で初めて使われた年号は、古代中国の「建元(けんげん)」(紀元前140年~紀元前135年、漢の武帝の時代)です。武帝は、その地位にある間に5回、年号を改めています。
「年号・元号」が変わるのはどんな時?
年号や元号を改めることを改号(かいごう)や改元(かいげん)と言います。古くから、改号は天皇の即位だけでなく、吉凶をきっかけに頻繁に行われました。また、干支で甲子(きのえね)、戊辰(つちのえたつ)、辛酉(かのととり)のときにも改号しています。
次に挙げるのは、改号のきっかけになった変わった出来事の一例です。
- ハレー彗星がやって来た(不吉なこととされた)。
- 美しい雲が現れた。
- 武蔵国から和銅が産出された。
現在はこのような出来事による改号は行われません。上で説明したとおり、明治以降は一世一元制が導入されたため、改号は原則として天皇の代替わりのときだけに行われるからです。
「年号・元号」の条件
「令和」という元号が決まるころ、ニュース番組だけでなくバラエティ番組でも、どんな元号になってほしいかが話題になっていました。しかし、元号は次のような条件をクリアする必要があるされています。
- 国民の理想としてふさわしい、良い意味を持っていること。
- 漢字2文字からできていること。
- 書きやすいこと。
- 読みやすいこと。
- これまで、元号や、天皇の死後の「おくり名」として使われたことがないこと。
- 俗用(人名や地名、企業名などに使われていること)されていないこと。
なお、現在の「令和」という元号は、万葉集の次の文からとられた造語です。