「交流」の意味
「交流」(こうりゅう)という言葉には、以下の二つの意味があります。
- 一定時間ごとに交互に逆向きに流れる電流。交流電流。AC(Altenating Current)。⇔直流(DC)。
- 違った系統のものが互いに入りまじること。また、入りまじらせること。
1は電気の流れに関する用語、2は一般的に使われる言葉です。使われる分野は異なりますが、ともに、「交(ま)じる」「流れる」と書く通りの意味です。
電気用語の「交流」について
電気の流れには「直流」と「交流」の2種類があります。直流とは、電気が流れるときにその大きさや勢いが変化しない流れ方をいい、身近なところでは乾電池から得られる電力が該当します。プラスとマイナスの流れが一方向的で、直線的です。
一方、家庭用のコンセントから得られる電気は原則すべて交流で、電流の向きや大きさが周期的に行ったり来たりしており、プラスとマイナスが交互に入れ替わる性質を持っています。
一般的な電子機器は直流で動作するように設計されているのですが、交流は変圧がしやすく、送電する際のロスが少ないなどのメリットがあるため、(発電所から)家庭に届けられる電気は交流で、そこから直流に変換することでさまざまな機器が動作しています。
「交流」の使い方
ここでは、電気用語ではなく一般的語彙としての「交流」の使い方をご紹介します。使用上のポイントは、人間やその集団を主語とする使い方が多い点と、「違ったものが」「お互いに」入りまじるという点です。
つまり、同質のもの、例えば、よく見知った友人同士や長年連れ添った夫婦などが何かやりとりすることを普通「交流」とは言いませんし、影響を与える側と与えられる側がはっきり区別されてやりとりが一方的な場合も「交流」ではありません。
とはいえ、自分(たち)と完全に同一・同質の何かなど存在しえない、と考えれば、あらゆる「他のもの」とのあらゆる種類のやりとりを「交流」と呼ぶことはできるでしょう。よく聞かれるのは、「国際交流」「異文化交流」といったかたちです。
「交流」のイメージ
現代社会においては、人と人との「交流」は重視される傾向があります。異なる意見や価値観に触れることは、見識を広めることにつながり、良く生きること、社会の中で幸福に生きることにつながるという見方が一般的だからです。
見方によっては、インターネット技術やスマートフォンなどの情報機器も「交流」の強化のために開発され発展してきたのであり、人類は自分たちと異なる社会や文化と「交流」を試みることで進化してきたともいえるかもしれません。
「交流」にまつわる価値観は人によって異なるかもしれませんが、少なくとも社会的には、この言葉にポジティブなイメージが投影されることが多い点を留意しておきましょう。
例文
- 高校を卒業してからも、恩師とは手紙を通じて交流を続けていた。
- 戦時下にあるA国とB国の間には、人の行き来は当然のこと、文化や経済の交流もなかった。
- 現代では、インターネットや翻訳ソフトを介して、遠く離れた国の人々とも簡単に交流が持てる。
- どれだけ言葉を交わしても、彼とはすれ違うばかりで、心の交流は持てていなかった。
- 来週、近所にある外国人学校の生徒たちとの交流会が開かれる。
「交流」の類語
コミュニケーション
「交流」という言葉はただ「交じり合って流れる」だけではなく、しばしば「コミュニケーション」(英語:communication)の意としても用いられます。
「コミュニケーション」は「入り交じる」ではなく「共有する」が語源となっているほか、「社会性」がニュアンスとして重視される傾向にありますので、その点のみ注意しましょう。
【例文】:社内のコミュニケーションを活発化して、社員の心理的安定を図るとともに、業務の効率化も目指す。
付き合い
「付き合い」は「まじわり」や「交際」の意味で、主に「人と人の交流」を表現するのにふさわしい類語と言えるでしょう。
ただ、「交流」ほど深いやりとりではなく、まさしく「付く」程度の、義理程度の交流というニュアンスもあるためその点のみ留意が必要です。
【例文】:最近、あいつは付き合いが悪い。
親しむ・親睦
「交流」(交流する)ということはまた、誰か・何かに「親(した)しむ」「親(した)しくする」「親睦(しんぼく)を深める」ということでもあるでしょう。親しく交わると書いて、「親交」(しんこう)という言葉もあります。
【例文】:大学で知り合った友人とは、三十過ぎても共通の趣味を通じて親しんでいる〔親交を持っている〕。
相互作用・交換・変換・転換
もし「交流」を純粋な物理作用とみるのであれば、「相互作用」「交換」「変換」「転換」といった言葉も類語たりえるでしょう。物や情報などが(互いに)やりとりされ、何かに換えられるという意味です。
これらの単語でも、「心の」や「人と人の」などの文脈の中であれば、「コミュニケーション」と似た意味で運用が可能です。
【例文】:彼は論理を重んじるがあまり、人と人の感情の相互作用を軽視してはいないだろうか。