「九牛の一毛」とは?
「九牛の一毛(きゅうぎゅうのいちもう)」とは、次のような意味の言葉です。
- たくさんの中の、本当にわずかな部分のこと。
- 取るに足りないこと、物の数にも入らないこと。
「九牛」とは、たくさんの牛のことを表しています。つまり、「九牛の一毛」は、文字通りには、たくさんいる牛の中の一本の毛、ということです。ここから、多数の中のほんの一部分、取るに足りないこと、という意味を表すようになりました。
「九牛の一毛」使い方
- 学生時代にはたくさんの同級生たちと知り合い、毎日を楽しく過ごしたが、大人になっても付き合いのある人は九牛の一毛だ。
- Aさんは、確かにファッションセンスが独特だが、明るくてまじめなとてもいい人なんだ。九牛の一毛のような部分にこだわって話もしてみないなんて、もったいないよ。
「九牛の一毛」誤用について
「九牛の一毛」を、外見上の小ささのたとえとして使うのは間違いです。
【誤用の例文】
- ドールハウスの展覧会を見に行ったが、そのあまりの小ささに、九牛の一毛だと驚いた。
「九牛の一毛」の類義語
滄海の一粟
「滄海の一粟(そうかいのいちぞく)」は、次のような意味があります。
- とても大きなものの中にある非常に小さなもののこと。
- 人間の存在が、広く大きな宇宙の中では、小さくはかないものだということ。
「滄海」は、青い大きな海原のことです。「一粟」は、一粒の粟(アワ)のことです。粟は雑穀の一種で、直径1.5mmほどの実をつけます。青く広い海原の中の一粒の粟のように小さいもののことから、「滄海の一粟」はこのような意味を表すようになりました。
「滄海の一粟」は、「蒼海の一粟」と書かれることもあります。また、「大海の一粟」も同じ意味の言葉です。
大海の一滴
「大海の一滴(たいかいのいってき)」は、とても大きなものの中に非常に小さなものがあることをたとえた言葉で、「滄海の一粟」と同じように使われます。大きな海の中の一粒の水滴の姿をたとえています。
「九牛の一毛」英語での表現
「九牛の一毛」を英語で表現すると、次のようになります。
- mere fraction(ほんの少しの部分)
- a drop in the bucket(バケツの中の一滴)
【例文】
- Such a sum is a drop in the bucket.(こんな金額では、九牛の一毛にしかならない。)
「九牛の一毛」由来
「九牛の一毛」の由来となった文は、『漢書(かんじょ)』の「司馬遷(しばせん)伝」にあります。『漢書』は中国前漢代(紀元前206~8年)の歴史を記した書物で、司馬遷は中国前漢代の歴史家です。
【現代語訳】
もしも、私が法によって罰せられたとしても、それはたくさんの牛の中から一本の毛を失った程度のものでしかありません。螻螘(おけらのような小さな虫、虫けら)みたいなものです。世間の人たちも、節を守って死んだものと比べることなどしないでしょう。
「九牛の一毛」という言葉の背景
紀元前99(天漢2)年、中国の前漢代の軍人である李陵(りりょう)は、前漢の皇帝である武帝の命によって匈奴(きょうど)征伐に向かいます。匈奴は、そのころ中央ユーラシアにあった遊牧国家の名前です。
ところが、李陵軍は降伏し、武帝はこの知らせを聞いて激怒。群臣たちも、李陵を責め立てる発言をします。その中、司馬遷だけが李陵をかばいます。この司馬遷の態度に怒った武帝は、司馬遷を投獄し、後に宮刑(きゅうけい)に処してしまいます。
宮刑は性器を除去される刑罰のことで、死刑の次に重い刑です。司馬遷にとってもこの刑は死に値するほどの恥辱でした。しかし、世の中の人たちにとってはそんなことは取るに足りないことだろう、ということで、司馬遷は友人にあてた手紙に上記のような一文を記しています。