「鶏頭牛尾」は誤り
まず、「鶏頭牛尾」(けいとうぎゅうび)は誤りで、正しくは「鶏口牛後(けいこうぎゅうご)」です。
- 【誤】鶏頭牛尾
- 【正】鶏口牛後
頭と口、尾と後、間違えられることが多い部分ですのでご注意ください。
「鶏口牛後」とは
「鶏口牛後」とは、「鶏口となるも牛後となるなかれ」を略した四字熟語で、「鶏口」はニワトリの口、「牛後」は牛の尻を指します。
これは中国戦国時代の縦横家(外交の策士)であった蘇秦(そしん)が語ったとされる言葉で、小さい集団の長を「鶏口」に、大きな集団の末端を「牛後」にたとえたものです。
すなわち「鶏口牛後」とは、「小さな集団の長になる方が、大きな集団の末端となるよりはよい」という意味です。
一般的には「鶏口となるも牛後となるなかれ」という形で用いられる機会が多いのですが、四字熟語としてもぜひ覚えておきたい言葉です。
「鶏口牛後」の用例
- 大企業からの転職で周りを驚かせた彼も、今や業界が注目するベンチャー企業の社長となった。鶏口牛後とはまさにこのことだ。
- 一流チームへの所属はかなわなかったが、新しいチームでも鶏口牛後の気概で努力を続けよう。
- 学力レベルも規模もA校には及ばないが、鶏口牛後という言葉もあるとおり、B校でトップを目指そうと思う。
「鶏口牛後」の語源
「鶏口牛後」の語源は、中国の書物『史記・蘇秦伝』の一節に見ることができます。
書き下し文:蘇秦、鄙諺(ひげん)を以て諸侯に説きて曰はく、寧ろ鶏口と為るとも、牛後となること無かれ、と。
出典<史記・蘇秦伝>
戦国の世において、弁舌の士として各国をめぐっていた蘇秦は、多くの国の王を説得し、六つの国に同盟を成立させました。
この時、蘇秦が韓の国の恵宣王(けいせんおう)に説いたのが、「寧為鶏口、無為牛後」というたとえ。このたとえによって、「小国であっても一国の王としての権威を保つことこそが大切であり、大国に屈してその臣下に成り下がってはならない」と説いたとされています。
この時の‘たとえ‘が、故事成語として今なお使われ続ける「鶏口牛後」という言葉です。
「鶏頭牛尾」と誤用される理由
近年、特に若い人の中で、会話や文書の中で「鶏口牛後」ではなく「鶏頭牛尾」が用いられるケースが見受けられます。
その場合は「鶏口牛後」と同様の意味で用いられているようですが、冒頭で述べたように、「鶏頭牛尾」は誤りであり、故事成語とは無関係です。
では、なぜ誤用である「鶏頭牛尾」が使われるようになったのでしょうか。その主な理由は、以下の二つだと考えられています。
文字が与えるイメージ
まず一つ目として、日本人がイメージしやすいように「口」が「頭」に、「後」が「尾」に言い換えられたとする説があります。
考えてみれば、「口」という言葉から「上端」や「てっぺん」をイメージする人は少ないかもしれませんね。「後」も、「何かの後ろ」や「後ろのほう」であって、「末尾」というイメージはすぐにはわかないかもしれません。
一方で、「頭」という字であれば「頭首」「頭取」などのようにトップや頂点のイメージ、「尾」という字であれば「語尾」「尾行」など一番後ろというイメージがあります。
よって、「鶏頭牛尾」であれば「鶏の頭(=てっぺん)と牛の尾(=一番後ろ)」だとすぐにイメージできます。このため、「鶏頭牛尾」を抵抗なく受け入れる人が多かった、と考えられています。
「竜頭蛇尾」と混同
「頭」と「尾」の付く四字熟語に「竜頭蛇尾(りゅうとうだび)」があります。そしてこの「竜頭蛇尾」と「鶏口牛後」を混同して「鶏頭牛尾」となった、とするのがもう一つの説です。
しかし、「竜頭蛇尾」は「最初のすばらしい勢いが最後は全くなくなること」という意味ですから、当然「鶏口牛後」とは全く異なるものです。
「鶏口牛後」の類義語・対義語
「鶏口牛後」と同様の意味を持つ四字熟語に「鶏尸牛従(けいしぎゅうしょう)」があります。中国の書物『爾雅翼(じがよく)』に残されている言葉で、「鶏尸」はニワトリの群れの長、「牛従」はウシの群れの後ろに従い行くことを意味します。
また、「鯛の尾より鰯の頭(かしら)」も「鶏口牛後」と同様に、「大きい団体で人の尻につき従うよりも、小さい団体の長になれ」という意味がこめられた慣用句です。
一方、「鶏口牛後」と反対の意味を持つ言葉としては、「寄らば大樹の陰」があげられます。「雨宿りをするなら大木の下の方がぬれずにすむ」ことから、「頼る相手を選ぶならば力のある者がよい」という意味で用いられます。