「厭戦」の意味
「厭戦」(えんせん)とは、「戦争をいとうこと、戦争を嫌に思うこと」という意味の言葉です。
具体的に言い換えるならば、「もう戦争なんて嫌だ」「これ以上戦争を続けたくない」といった思想や心境が「厭戦」に当たります。
「厭」について
「厭」(エン、いと-う)の字は、「石でおさえる、ふさがる」がもともとの字義であり、いくつかの意味がありますが、「いとう」「飽きる」「倦(う)む」「疲れる」「塞ぐ」などが主な意味です。
「厭戦」ですから、「戦い」に飽きたり疲れたりして遠ざけているニュアンスがわかりますね。他に「厭世」(えんせい:世の中が嫌になる)などの熟語でも「厭」は同様の意味で使用されています。
「嫌い」が積極的に相手を切り捨てて遠ざける意味があるのに対し、「厭う」は自分から身を引いて相手を遠ざける点に特徴があります。
「厭戦」の使い方
「厭戦」は、「厭戦気分」のほか、主に「厭戦思想」「厭戦主義」「厭戦感」などの形で、戦争は嫌だという心情や思想、国家や集団の中に醸成(じょうせい)される全体的な空気や雰囲気を指して使います。
「厭戦」は「戦争そのものを積極的に遠ざける」というよりは、多くの場合は目下にある戦争に対する「無関心」や「戦うための動機や意欲の喪失・減退」を表す言葉です。「士気の低下」と言い換えてもよいでしょう。
もちろん、結果としては「厭戦」が積極的な戦争への嫌悪・否定につながることもあります。しかし戦争は基本的に簡単には遠ざけられない事情に基づいて発生するがゆえに、自分から離れたいという「厭戦」気分が生じると考えたほうが適切でしょう。
例文
- 前線で戦う兵士たちの裏で、苦しい生活を強いられる市民たちの間では厭戦気分が高まっていった。
- 先日の潜入作戦によって唯一の親友を失った彼の心には、否応なく厭戦感情が沸き上がっていた。
- 民衆の自由と平和をテーマにした映画が、検閲によって戦時下にも関わらず内容が厭戦的であると判断され、上映禁止となった。
- その宗教指導者は、厭戦主義者として公安警察からマークされている。
「厭戦気分」が生じる理由
「厭戦気分」が生じる主な理由として、以下のような要素が挙げられます。
戦争の長期化
戦争が長引いたり、いつまでも終戦の兆しが見えなかったりすると、戦争当事者(兵士だけではなく民間人)の間に精神的疲労が生じ始め、厭戦気分が生じる場合があります。
戦争は非常事態の代名詞といえますが、非常事態であっても人間の緊張感や闘争心を長期間にわたって維持することは困難を極めます。
大義の喪失または縮小
戦争には必ず、戦争を始めるに至った「大義」(たいぎ:重要な意味、国家が行うべき道徳・正義など)が存在しており、多くの人間はこの大義に従って戦争行為(殺人など)を肯定します。
しかし、戦局の推移によってこの大義が曖昧になったり、なくなったりする場合があります。
例えば、完全悪とされていた相手国にも一定の理があると露見した時や、戦争によって守るべきものが失われてしまったような場合、「大義」が揺らぎ、厭戦感情が発生する可能性があります。
敗色濃厚
誰しも、負ける公算が高い勝負に意欲的になることは困難です。負けるとわかった上で戦争をはじめるようなことはありませんが、戦局の推移によってその公算が高まることはありえます。
「どうせ負ける」「どうせ死ぬ」という感情が優勢になった時、厭戦気分が高まりやすいといえるでしょう。
「厭戦」の関連語
反戦
「反戦」(はんせん)は、文字通り「戦争に反対すること」です。「厭戦」よりも積極的に戦争にNOを突き付けているニュアンスが特徴です。
抗戦
「抗戦」(こうせん)は、抗(あらが)い戦うと書く通り、「抵抗して戦うこと」です。「戦うことに抗う」(≒反戦、厭戦)という意味ではありませんのでご注意ください。
好戦
「好戦」(こうせん)は、「厭戦」とは対照的に「戦いを好むこと、すぐ武力に訴えようとすること」という意味です。
ただし「好戦」は(国家間などの)「戦争」についてだけではなく、「戦い」と呼べる物事全般に使用することができますのでその点のみ注意しましょう。