「諫言」とは
「諫言(かんげん)」とは、「いさめること」または、「いさめる言葉」を意味します。
「諫」の訓読みは、「いさ-める」です。「諌める」は、「(おもに目上の人間に対して)まちがいや良くない点を改めるように言う」「忠告する」という意味の言葉です。
したがって、「諫言」とは、上司や主君の言動の悪いところを指摘し、改善を求めること、あるいはその言葉、という意味になります。
「諫言」の使い方
「諫言」は、日常生活ではあまり耳にしない言葉ですから、使い方や使いどころにも悩むことがあるかも知れません。以下に、いくつかの例文を挙げてみます。
- 二代目社長のあまりに杜撰な経営方針に対して、先代以来の重役が度々諫言したが聞き入れられなかった。
- あのワンマン社長に堂々と異を唱えるとは、彼はまさに諫言の士だ。
- 会社のために、必要とあらば諫言を呈する部下とそれを聞き入れる上司、この会社はまだ伸びるね。
「諫言」の類語
「忠言(ちゅうげん)」
「忠言」も「諫言」と同じく、「いさめる言葉」という意味を持ちます。「忠義」の「忠」ですから、「主君や上司のためを思っての言葉」と考えると意味が理解しやすいですね。
「忠言、耳に逆らう」ということわざがあります。忠言は、とにかく耳に痛いので素直には聞き入れにくいものだ、という意味です。
「警世(けいせい)」
「警世」とは、世間に向かって警告を発することです。「諫言」が上司、主君といった「個人」に対する忠告、警告であるのに対し、「警世」は、「世間」という広い範囲を対象にしている、という点が異なります。
「諫言」の対義語
「甘言(かんげん)」
「諫言」の対義語は、「甘言」です。どちらも「かんげん」と読むのは面白いですね。「甘言」という言葉は、「人の気に入るような、口先だけのうまい言葉」という意味を持ちます。
「諫言」にまつわるエピソード(中国古典より)
「折檻諫言(せっかんかんげん)」
『漢書』の「朱雲伝」にある、古代中国の前漢、成帝の時代の話です。朱雲という人物が、当時成帝がひいきにしている臣下は奸臣(主君のためにならない、邪悪なことをする家来)であるから、切り捨てるべきだと諌めました。
成帝はそれに怒り、彼を処刑しようとしました。朱雲はそれに抵抗し、手すりにつかまりながら、なおも成帝を諌め続けました。そして、ついには彼がつかまっていた手すりが折れてしまった、というのです。
「折檻諫言」という四字熟語はこのエピソードに由来します。この言葉はまた、厳しく戒めるという意味の「折檻」という言葉の語源とされています。
「五諫(ごかん)」
孔子が諫言について述べた言葉に、「五諫」というものがあります。前漢の学者、劉向(りゅうきょう)が、その著書『説苑(ぜいえん)』の中で行った解説が有名です。
- 正諫(せいかん) 正面から諌める。
- 降諫(こうかん) いったんは君主の言葉に従い、そのうえで諌める。
- 忠諫(ちゅうかん)真心を表して諌める。
- 戇諫(とうかん) 愚直に諌める。
- 諷諌(ふうかん) 遠回しに諌める。
上司・主君との関係性や状況に応じて、あるいは自分の個性を考えて最適な方法で諫言をすべきだ、ということですね。
「諫言」にまつわるエピソード(徳川家康の言葉より)
さまざまな個性を持った武将が覇を競った戦国時代、現代に名前を残す戦国武将については、さまざまなエピソードが残っています。若いころ「うつけ」として名をはせた織田信長を諌めるために、自ら切腹した平手政秀の逸話なども有名です。
戦国武将の中で、最も諫言を聞き入れたのは徳川家康だという人も多数います。家臣が家康にさまざまな提言を行ったとき、家康はそれを喜び、「これからも心置きなく思うことを述べよ」と言ったそうです。
提言の内容はそれほど重要なものではなかったため、疑問に思った参謀の本田正信が家康にその真意を問うと、「国を領し、人を治める身にはへつらう者が多く、違うと意見するものは少ない。用いる用いないはおいて、彼の忠誠心が嬉しい」と、家康は答えたと言います。
主人に諫言する者は一番槍を突く者よりも立派
また家康は、「主人の悪事を見て、諫言をする家老は、戦場にて一番槍を突たるよりも、遥かに増したる心緒(こころね=心根)なるべし(主人に諫言をするのは、戦場で一番槍を突く勇者よりも立派である)」と言っています。
一番槍に挑んだ者は、成功すれば当然褒められて恩賞を得る、失敗してもその勇気を称され、場合によっては遺された家族は厚く遇(ぐう)される、つまり失うものがありません。
一方、諫言をする者は主君の不興を買い、処罰されるかも知れず、妻子にもその沙汰が及ぶ危険がある。それを覚悟して諫言を呈する家臣は貴重なものなのだ、というのがその理由です。
天下を統一した「勝者」である家康についてのエピソードですから、必ずしも正確なものではないかも知れません。しかし「諫言」を尊ぶ精神は、組織で上に立つ者にとっては貴重な教訓、と言えるかもしれませんね。