「丑三つ」の意味
「丑三つ」は昔の時刻の表し方で、午前2時から二時半ごろを指します。夜もどっぷりと更けた真夜中です。そのため、深夜や夜遅い時間帯の代名詞として使われることもあります。
日本では古くから妖怪や怪物たちが動き出す時間帯とされており、怪綺談や妖怪小説ではよく使われる言葉です。
「丑三つ」とは
「丑」とは
「丑」は「うし」と読みます。「ねーうしとらうーたつみー…」でお馴染みの干支(えと)の二番目です。干支は正しくは十二支(じゅうにし)と言います。今でこそ生まれた歳を表すためのものでしかありませんが、昔は色々なことに使われていました。
たとえば方角。真北を先頭の「子」として真南を「午」と呼びます。西は「酉」、東は「卯」です。南東は「辰」と「巳」を合わせて「巽(たつみ)」、同様に北西は「乾(いぬい)」です。
時刻の場合は深夜0時前後の二時間を「子」として、以降二時間ごとに区切ります。この場合、お昼の12時は「午」ですね。「正午」に「午」の字が使われるのもこれが由来ですよ。「丑」は午前2時の前後2時間ですので、午前1時から午前3時です。
「丑三つ」とは
「丑」が大体どのあたりの時間帯を指す言葉なのかはわかりました。では、「丑三つ」の「三つ」はなんでしょうか?
「三つ」はどうやら四つに分けたうちの三番目という意味ではないかと言われています。「丑」の時間帯は午前1時から午前3時までの2時間ですので、四つに分けると一つ一つは30分。三番目は午前2時から午前2時半まで、ですね。
「丑三つ時」の由来
さて、そんな夜遅い「丑三つ時」ですが、なぜ妖怪たちが現れる時間帯とされているのでしょうか?
鬼門説
「丑三つ時」の謎、そのヒントは「鬼門(きもん)」にあります。「鬼門」とは、はるか昔の陰陽道に由来する言葉です。邪悪な鬼たちは北東の方角からやってくると信じられていたので、北東はいつしか鬼のやって来る門、すなわち「鬼門」と呼ばれるようになりました。
そして、北東は十二支で表すと丑寅の方角です。そのため、丑寅自体が鬼とかかわるものと考えられるようになり、それが時刻の「丑」につながったとされています。
皆さんは鬼の姿と言えばどんな姿を想像されすでしょうか?多くの人は角が生えていて毛皮のパンツを履いた姿を思い浮かべるでしょう。この鬼の角は実は牛の角です。そして、毛皮は虎の毛皮です。これほどに鬼と丑寅はつながりが深いものと信じられていたのです。
教訓説
「丑三つ時」に妖怪が出るという話は警告や教訓の一つであるという説もあります。身もふたもない言い方をすれば夜道は危険だから出歩かない方がいいということです。
夜に出歩くのは現代でもあまりお勧めできることではありませんが、昔の日本では時代によっては夜盗や追いはぎ、辻斬りなどもあり得たので現代の比ではないでしょう。少しでも危険を避けたいのなら夜はおとなしくしていなさいことですね。
こういった教えは他にも残っています。「夜に爪を切ると親の死に目にあえない」「敷居を踏んではいけない」などがそうですね。
本来は、暗くて深爪したり指を切ったりしやすいから夜に切るな、敷居は踏むと転びやすいうえに敷居がゆがむから踏むな、という意図によるものです。時代の流れとともに本来の意図が廃れてしまったとも言えますね。
「丑の刻参り」とは?
「丑の刻参り」とは人を呪い殺すために行う儀式です。一本下駄に白装束、頭には燃えるろうそく、そして胸には鏡をぶら下げるという恐ろし気な服装で行います。
その内容は、神社の境内に植えられたご神木に憎い相手を模した藁人形を五寸釘で打ち付けるというものです。これを丑の刻に七日間行えば望みが叶うだろうと言われていました。