「冠を正さず」の意味
みなさんは「冠(かんむり)を正さず」という言葉を聞いたことがありますか?これは長いことわざの一部で、正確には「瓜田に履を納れず、李下に冠を正さず(かでんにくつをいれず、りかにかんむりをたださず)」といいます。
「他人の疑いを招くような、浅慮な行動は慎むべきである」という意味のことわざで、「瓜田の履、李下の冠」とも表現されます。
「冠を正さず」の使い方
「瓜田に履を納れず、李下に冠を正さず」はことわざとしてもかなり長い部類なので、大抵「瓜田に履を納れず」か「李下に冠を正さず」のどちらか一方のみが使われます。
両者とも同じ意味を表しますが、ポピュラーなのはどちらかと言えば「李下に冠を正さず」の方でしょう。ただし、「李下に」を省いて「冠を正さず」だけで使うと、厳密には意味が繋がらないので注意が必要です。
【例文】
- 浮気ではないが、女性と二人きりで会っていたのは確かだ。李下に冠を正さず。今後はもっと考えて行動しよう。
- こんな時間にそんな格好でうろつくから職務質問を受けるんだ。李下に冠を正さずだよ。
- 李下に冠を正さずで、買い物に行ったら万引き犯と間違えられないように必ずカゴを使うようにしている。
「冠を正さず」の語源
さて、「瓜田に履を納れず、李下に冠を正さず」が、なぜ疑いを招く行動を慎めということわざになるのか、不思議に思う方もいらっしゃるでしょう。
このことわざは、古代中国の文学者である陸機による楽府(がふ)『君子行』を出典とする故事成語です。『君子行』の内容をご紹介する前に、まずは出てくる単語について解説します。
単語解説
まず「瓜田」ですが、田とついているから田んぼを連想しがちなものの、これはウリ畑のことです。「李下」はスモモの木の下を意味します。
「履」は読みどおり履物の「くつ」のことです。履物の「くつ」には、「靴」「沓」「履」という3つの表記があるのですが、「履」と書く場合には主に草履(ぞうり)や草鞋(わらじ)のように、足裏を覆うタイプの履物を意味します。
「冠」は頭にかぶる装飾品のことです。ただし、西欧の王さまがかぶるような王冠とは、すこしイメージが異なるかもしれません。かつて中国では、尊卑貴賤(そんぴきせん)問わず伸ばした髪を結い上げて、そこに冠をかぶるのが礼儀とされていました。
冠の種類も、皇族がかぶる装飾がたくさんついた冕(べん)や、庶民のかぶる布で出来た巾(きん)など様々でした。西欧のように、冠をかぶることが権威につながるのではなく、冠の種類で身分を表していたのです。
『君子行』
では、単語の理解が深まったところで、『君子行』の内容を紹介します。
君子防未然、不處嫌疑間。瓜田不納履、李下不正冠。
書き下し文
君子は未然に防ぎ、嫌疑の間に處(お)らず。瓜田に履を納れず、李下に冠を正さず。
和訳
君子は人から嫌疑をかけられるようなことは、未然に防ぐものだ。収穫物を盗もうとしていると間違われないよう、ウリ畑の中で履を履き直したりしないし、スモモの木の下で冠をかぶり直したりはしないのだ。
「李下に冠を正さず」の「李下に」を省くと、ことわざの意味として繋がらなくなると説明したのはこういうわけです。
つまり、冠を正すこと自体はしても問題ないけれど、それをスモモの木の下でやってしまうと、「なんだアイツ、手を頭の上に上げてるぞ。まさかスモモを盗む気じゃあるまいな」などと、他人からいらぬ嫌疑をかけられる危険があるからマズイのです。
『猛虎行』
最後に、『君子行』と同じく陸機の楽府である『猛虎行』の一節をご紹介します。
渇不飲盗泉水、熱不息悪木陰。
書き下し文
渇(かっ)しても盗泉(とうせん)の水を飲まず、熱しても悪木(あくぼく)の陰に憩わず。
和訳
どんなに喉が渇いても、「盗」の字の入った泉の水は飲まない。どれだけ日差しがきつくても、「悪」の字の入った木の陰では休まない。
「渇しても盗泉の水を飲まず」や、「悪木盗泉」という言葉を聞いたことがある方もいらっしゃるのではないでしょうか。どんなに困窮しても悪事には手を染めないという意味のことわざや四字熟語で、それらの言葉の語源となったのが、上記の『猛虎行』の一節です。
常に深く考えて行動したり、つらいときも己を律して生きるのは容易なことではありませんが、生き方の指標のひとつとして「李下に冠を正さず」と「渇しても盗泉の水を飲まず」を心に留めておきたいですね。