「災い転じて福となす」とは?
「災い転じて福となす(わざわいてんじてふくとなす)」とは、災難や失敗にあってもそれをじょうずに利用して、自分の有利になるようにすることです。または、災いが転じて幸いのもとになることを言うこともあります。
「災い転じて福と為す」とも書かれることもあります。また、「転禍為福(てんかいふく)」という四字熟語も同じ意味です。
「災い転じて福となす」例文
- カレーを作るのに隠し味のりんごを入れすぎてしまったかと思ったが、甘くておいしいカレーになって子どもには喜ばれた。「災い転じて福となす」となってほっとした。
- 健康診断で体重の増加を指摘され、やせるために生活改善をがんばったら、体重だけでなく血圧などのほかの数値も改善された。「災い転じて福となす」だ。
- 美容院で髪を切りすぎたかと思ったが、「災い転じて福となす」とはよく言ったもので、今の自分には短い髪も意外に似合っていて、手入れも簡単だ。
「災い転じて福となす」由来
「災い転じて福となす」の由来となる故事には、次のようなものがあります。
『戦国策(せんごくさく)』
中国の書、『戦国策』燕(えん)策に、次のような記述があります。
聖人(徳の高い人)は、身にふりかかった禍を転じて福となし、失敗してもそれを幸福へのきっかけになるように行動するものだ。
『戦国策』は中国の戦国時代の書で、縦横家(じゅうおうか、しょうようか)と呼ばれる遊説家たちのはかりごとや言論などを、12か国の国別に書いた33巻の書です。「燕」は、この12か国のうちの一つの国の名前です。古代中国の「戦国時代」という呼びかたは、この書に由来します。
『史記(しき)』
また、『史記』蘇秦列伝(そしんれつでん)には、次のような記述があります。
私が聞いたところでは、いにしえからよく事を制する人は、禍にあってもそれを転じて福とし、失敗をしてもそれによって功をなすということだ。
『史記』は、中国前漢時代の歴史書で、司馬遷(しばせん)という歴史家によって編纂されました。蘇秦はこの時代の弁論家の名前です。『史記』は日本でも古くから読まれていた書で、「平成」という元号はここから採用されています。
「災い転じて福となす」類語
人間万事塞翁が馬
「にんげんばんじさいおうがうま」、または「じんかんばんじさいおうがうま」と読みます。「塞翁が馬」と書かれることもあります。
塞翁(さいおう)は、塞(とりで)に住んでいる老人(翁、おう)のことです。あるとき、この塞翁の飼っていた馬が、隣の国に逃げて行ってしまうという不幸にあいますが、しばらくすると隣の国から優れた馬を連れ帰ってくるという幸運にあいます。
そののち、老人の息子がその優れた馬に乗っていたところ、落馬して足を折ってしまうという不幸にあいます。ですが、そのため一年後に起きた戦争に行かなくて済み、多くの若者は戦死してしまったが、息子は命が助かった、という幸運にあいます。
ここから、人間の幸せや災いはどう転ぶかわからず、予測できない、ということを表します。中国の前漢時代の思想書『淮南子(えなんじ)』人間訓に、この話があります。
怪我の功名
「けがのこうみょう」と読みます。うっかり間違ってしてしまったことや、何気なくやったことが、偶然に良い結果を生む、ということを表したことわざです。
「怪我」は不測の事態、過ちを指します。「功名」は手柄を立てて名をあげることで、古くは「高名」とも書かれました。したがって、「怪我の巧妙」「怪我の光明」と書くのは誤りです。
その他の類語
- 失敗は成功の母
- 失敗は成功のもと
- 七転び八起き
- 雨降って地固まる