「憧憬」とは?意味や使い方をご紹介

「憧憬」は「しょうけい」と読み、「あこがれること」を意味する言葉です。しかし、一般的にはそのまま「憧れ」と表現されることが多いですから、触れる機会はあまり多くないかもしれません。今回は「憧憬」の意味や使い方を、似た意味を持つ表現とあわせてご紹介します。

目次

  1. 「憧憬」の読み方
  2. 「憧憬」の意味
  3. 「憧憬」の使い方
  4. 「憧憬」と似た意味を持つ表現

「憧憬」の読み方

「憧憬」は「しょうけい」が正しい読み方です。ただし、「憧」は「どう」とも読むことから、慣用的に「どうけい」という読み方も普及しています。

「憧憬」の意味

憧憬」には、あこがれることあこがれの気持ちという意味があります。「あこがれ」とは、理想とする物事や状態に強く心が引かれ、「あれを得たい」「あんなふうになりたい」などと強く望むことです。

また、うっとりと見とれて心が奪われることで集中できず落ち着かない状態になってしまうことや、目の前にないものに心を奪われてうっとりと思い浮かべることという意味もあります。

「憧憬」は、「憧」と「憬」という漢字を組み合わせることでつくられた和製漢語とも言われています。和製漢語とは、中国から日本に入ってきたのではなく、日本でつくられた漢語のことです。

「憧」という漢字の意味

「憧」は、「あこが-れる」「ショウ」「シュウ」「ドウ」と読み、以下のような意味を持ちます。

  1. 心が定まらない。
  2. 往来が絶えない様子。
  3. あこがれる。
  4. おろか。にぶい。

右側の「童」には「動く」、左側の立心偏(りっしんべん)には感情や意志などを指す「心」という意味があります。このことから「憧」は、「心が動いて定まらない」「あこがれる」ことを表現しています。

「憬」という漢字の意味

「憬」は、「あこが-れる」「ケイ」「キョウ」と読み、以下のような意味があります。

  1. さとる。
  2. 広大なさま。
  3. 遠く行くさま。
  4. あこがれる。強く心を引かれる。

右側の「景」は「ひかり」を表現しています。左側の立心偏と組み合わせられることで、「憬」は「心の中があかるくなる」「さとる」という意味を表します。

「憧憬」の使い方

「憧憬」は、「憧憬を抱く」のように名詞として、あるいは動詞のように「憧憬する」というかたちで用いられたりします。

また、小説などでは「憧憬れる(あこがれる)」のように、「憧れる」の当て字として使われることもあるようです。

例文

  • ずっと山の中で暮らしてきた少女が都会での暮らしに憧憬するのは、自然なことなのかもしれない。
  • 成績優秀で人格も優れている彼女は、下級生の憧憬の的だ。
  • 宇宙のことが何よりも大好きな息子は、宇宙飛行士に憧憬している。
  • 憧憬れることのできる存在があるというのは素敵なことだ。

「憧憬」と似た意味を持つ表現

思いを寄せる(おもいをよせる)

思いを寄せる」とは、ある物事に関心を持つ・心を傾けるという意味です。ここでの「寄せる」は、「意識や気持ちをあることに集中させること」を指します。

「思いを寄せる」は、特に、誰かに恋愛感情を抱くことを指して「思いを寄せる」と表現することが多いです。

【例文】

  • 彼が彼女に思いを寄せていることを彼自身は誰にも話さないが、周りの人たちはみんな知っている。
  • 彼女が密かに彼に思いを寄せる姿は、切なくも美しい。

思い焦がれる(おもいこがれる)

思い焦がれる」は、他のことには注意を向けることなく、あるひとつのことを強く恋しいと思うという意味です。自分からは遠く感じる人や場所、物事などに心が強く引かれ、「会いたい」「行きたい」などと思う気持ちを表します。

【例文】

  • 彼に思い焦がれる気持ちを持ち続けることは苦しいけれど、そんな自分が愛おしくもある。
  • 祖母は「あの場所にもう一度行きたい」と思い焦がれているが、今の彼女の身体では簡単に行くことはできない。

恍然自失(こうぜんじしつ)

恍然自失」は、ある物事や人物などに心を奪われ、うっとりして我を忘れてしまうことを表す四字熟語です。

「恍然(こうぜん)」は「心を奪われてうっとりしているさま」「ぼうっとして我を忘れているさま」を、「自失(じしつ)」は「我を忘れてぼんやりすること」を意味します。

似ている四字熟語に「茫然自失(ぼうぜんじしつ)」がありますが、こちらは「驚きのあまり、我を忘れること」を意味する言葉です。

【例文】

  • 彼女を目の前にした彼の今の状態はまさに恍然自失である。
  • 恍然自失になるほど夢中になった経験など、今までに一度もない。

渇仰(かつごう)

渇仰」は「かつごう」と読むのが一般的ですが、「かつぎょう」と読むこともあるようです。仏教では、喉が渇いたときに「水が欲しい」と高い山を見て慕い仰ぐように、仏を慕い求めることを表します。転じて、心の底からあこがれ慕うことという意味もあります。

また、「渇仰随喜(かつごうずいき)」は、仏を心から信仰して頼りにすることを表します。転じて、他人の姿や行動に好感や親しみの気持ちを抱きいて強く慕うことや、物事に熱中し集中することの意で用いることもあります。「随喜渇仰(ずいきかつごう)」も同義です。

この「随喜」とは、他人の善い行いを見て大きな喜びを感じることです。転じて、他人の行動を心からありがたく思い、非常に喜ぶことという意味でも使われます。

【例文】

  • 名優の彼は渇仰の的である。
  • 仏に渇仰随喜することで、彼は心に平安を感じるようになったようだ。

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