「束の間」の意味とは?
「束の間」(つかのま)の意味は、ちょっとの時間、ごくわずかな時です。「つかのあいだ」という読み方もありますが、「つかのま」のほうが一般的です。
「束」は昔の長さの単位で、「一束」(ひとつか)は現在の約8cm程。親指を除いた指4本分の幅で、ごく短いことの例えに使われました。長さの単位である「束」が、時間の単位としても用いられるようになったということです。
ちなみに指1本分の幅は「一伏」(ひとふせ)、「四伏」は「一束」と同じ長さです。
「束の間」の使い方
「束の間」は、昔の単位が使われた古めかしい表現ですが、現在でも日常的に見られる言葉です。ひらがなで「つかのま」と表記されることもしばしばです。
「束の間の休息」「束の間の夢」などという表現は、その時間がとても短いけれど貴重な時間であることを表しています。
あまり目にする機会はないかもしれませんが、「束の間も忘れることはない」と否定的な文章で用いる場合もあります。「少しの間も忘れることはない」、言い換えると「絶対に忘れない」と強調する表現にも取れますね。
「束の間」の例文
- 束の間の休み時間だ。30分だけでも昼寝しよう。
- 大学生の頃は、束の間のモテ期だったな。ああ、なつかしい。
- 修学旅行の思い出は、束の間も忘れられない大切な宝物だ。
「束の間」の類語
瞬く間
「瞬く間」(またたくま)は、瞬時、とても短い時間を表す語です。「瞬く間」は本来まばたきをする間の時間をいいます。人のまばたきは非常に速く、短い時間であることから来ています。
【例文】
早食い大会の参加者は、瞬く間に目の前の料理を平らげていった。
刹那
「刹那」(せつな)は極めて短い間、瞬間のことです。サンスクリット語の「ksana」の音を「刹那」という漢字に当てはめています。
仏教で「刹那」は最も短い時間の単位のことです。「刹那」が表すのは75分の1秒、もしくは、指を1度弾く時間の65分の1秒などの説が伝わっています。
「刹那的」「刹那主義」という言葉もあります。これは、その瞬間だけが大切で後のことは考えないという、前向きでない表現として使われています。
【例文】
彼と目があった刹那、恋に落ちた。
片時
「片時」(かたとき)は、短い時間を表す言葉で、ほんのしばらくの間、ちょっとした時間をいいます。「片時も」というかたちで、副詞として使われています。
本来、「片時」は「一時」(ひととき/いっとき)の半分の時間をいいました。「一時」は昔の時間の単位で、現在の2時間です。そこから転じて、わずかな時間を表すようになりました。
【例文】
うちの娘はペンギンのぬいぐるみを片時も離さない。
「束の間」の反対の意味に近い語:永久
「永久」(えいきゅう/とわ)は、果てしなく続いていくこと、時の流れが移り変わっても変わらずに続くことをいいます。「束の間」が短い時間を切り取ったところを指すのに対し、「永久」はずっと続くことを表し、反対に近い表現といえます。
【例文】
彼女は「幸せな時間が永久にそのままだといいけれど」とため息をついた。
「束の間の幻影」
「束の間」はクラシックの曲のタイトルにも使われています。「束の間の幻影(原題フランス語:Visions Fugitives)」(つかのまのげんえい)はロシア出身のセルゲイ・セルゲーエヴィチ・プロコフィエフ( Сергей Сергеевич Прокофьев)によるピアノ曲集です。
「束の間の幻影」のタイトルが付いたのは、ロシアの詩人コンスタンティン・ディミトリエヴィチ・バリモント(Константин Дмитриевич Бальмонт)のフランス語で書かれた詩から着想を得たためといわれています。
あらゆる刹那の瞬間に私は世界を見る、虹色にちらつく光に満たされた世界を
これらは20曲からなり、「束の間の幻影」のタイトルの如く、1分~2分程度の長さの幻想的な小品が多いです。不協和音の面白い響きと、独特なリズムが印象的です。勇ましい感じがするプロコフィエフの作品の中では珍しく、静かに訴えかけるような雰囲気の曲もあります。