「罪悪感」とは?
「罪悪感」(ざいあくかん)とは、「自分が罪悪を犯したという気持ち」のことです。
「罪悪」は、「道徳的・宗教的な教えなどにそむく行いのこと」ですので、罪悪感を理解するためには、道徳や宗教の考え方が基本的な下敷きとして必要です。とはいえ、高度な教育を前提としなければ「罪悪」が感じられないかと言えばそんなことはありません。
社会の一員として生きる以上、善悪の基準など、自ずと共有・推奨される決まりごとは無数に存在します。もしあなたが社会の一員として生活しているならば、道徳も、それに反することの「罪悪感」も、自ずと感じ取れることでしょう。
「罪悪感」の使い方
「罪悪感」は、基本的にはその人の内面的な倫理観を根源として生まれます。個人の外部から強制力をもって「罪」「悪」(とその罰)を規定する「法令」や「規則」とは異なり、「罪悪感」は人間個人の内的な道徳観・宗教観によって発生するのです。
そのため、何に対して罪悪感を覚えるかは人それぞれであり、社会によって決められたルール(法律など)を破っても、そのことに罪悪感を持たない人もいます。一方、他の人から見れば些細な過失でも、本人は大きな罪悪感に苛まれることもありえます。
そうした特徴から、「罪悪感」という言葉が用いられるのは、自分自身の気持ちに言及する時か、誰かに「罪の気持ちを感じるか?」「悪いことをしたという自覚はあるか?」と問いかける場面に限られるでしょう。
例文
- 現場から逃亡を図った犯人は、罪悪感に耐えきれず、二日後に警察に出頭した。
- 何度も万引きで捕まる女に、刑事は「罪悪感はないのか」と問い詰めた。
- ほんの出来心でカンニングをし、期末テストで満点を取った。先生や友達から褒められたが、罪悪感で爆発しそうだ。
- 彼は、他人のものを盗むのに罪悪感を覚えないらしい。何度叱られても、また繰り返す。
- 自分だけが事件の秘密を知っていると思うと、彼はちょっとした罪悪感に襲われた。
「罪悪感」の類語
罪責感
犯罪の責任を感じることを「罪責感」(ざいせきかん)と呼びます。対象が「犯罪」と決められている分、「罪悪感」より意味の範囲が限定されていますが、あくまでも「感(感覚)」ですので、類語的に使用して構いません。
【例文】:周りが出征していく中、自分だけが兵役を免れていることに罪責感を覚える。(「罪悪感」でも可)
背徳感
「背徳感」(はいとくかん)とは、「道徳に逆らい(あるいはゆがめ、ねじまげて)背くこと、その気持ち」を表す言葉です。
単に「道徳に逆らう」というより、正しいとされることに敢えて逆らったり、曲解してねじまげたりすることに「喜びを得る気持ち」というニュアンスを含むことがあり、特に性道徳に関する事柄を指す場合が多い言葉です。
【例文】:やましい気持ちはないものの、彼氏がいる女の子を家に連れ込むことに、彼はちょっとした背徳感を覚えた。
後ろめたさ(後ろめたい気持ち)
「後ろめたさ」とは、「やましいことがあるので気が引けること」という意味の言葉です。「後目痛し」に由来する言葉であり、(悪いことをした自分が)後ろから誰かに見られているという感覚を表したものと考えられます。
自分の行いが「誰かに見られている」という感覚は、その人の道徳心によって培われた客観的な目、良心の目が生むものと言えるでしょう。
【例文】:あの時、友人を裏切った後ろめたさが、十年経った今でも胸にこびりついている。
申し訳ない気持ち
言い訳や弁解の余地がなく、自分の落ち度を認めて相手に詫びるしかないときに「申し訳ない」と言います。その時に抱いている気持ちは、まさに「申し訳ない気持ち」といえるでしょう。
「罪悪感」ほどニュアンスは重くなく、相手にちょっと迷惑をかけた際などにも使用可能です。
【例文】:せっかく君から助言をもらったのに、それを生かすことができず、申し訳ない気持ちだ。
「罪悪感」の例
サバイバーズ・ギルト
「サバイバーズ・ギルト」(survivor's guilt)とは、多くの人が亡くなる大規模災害や事故などから生還した人が、「なぜ自分(だけ)が助かったのか」と苛まれる罪悪感や自責の念のことを指します。
「自分が何かしていれば他にも助かった人がいたのではないか」「自分よりも生き残るべき人がいたのではないか」といった気持ちが「サバイバーズ・ギルト」を生むとされ、ひどい場合には精神的な治療が必要となる場合もあります。