「餓鬼」の意味
「餓鬼」(がき)とは、仏教の概念で、悪業の報いとして餓鬼道(がきどう)に落ちた亡者(もうじゃ:死んだ人)のことです。
飲食することができないほどに喉が細いために「餓鬼」はやせ細っており、冥土(めいど:死者の霊魂が迷い行く道)において、決して満たされることのない飢えと渇きに苦み続けると伝えられます。(詳しくは後述します)
転じて、人間の子どもは時に(本能に準じて)浅ましいほどに食べ物を欲し、貪るように食べるため、その姿や様子が「餓鬼」に喩えられ、「子どもの蔑称」としても使われます。
「餓鬼」の呼び名について
「餓鬼」は、「飢えた鬼」と書きます。「鬼」と聞くと、『桃太郎』に登場す巨体の怪物のような存在をイメージする方もいるかもしれませんが、元の中国語では「鬼」は「死んだ人、幽霊」という意味です。
この「鬼」が日本語に入った際に、「穏(おに)」=「姿の見えないもの」と意味が合わさり、祖霊、地霊、神の化身、ないし「恐ろしい、この世ならざるもの(怪物など)」全般を表すようになったと考えられます。
「仕事の鬼」(仕事に精魂を賭す人)のように良い文脈でも使われる「鬼」ですが、一般的には邪悪なイメージです。「餓鬼」の場合も、悪いことをした人が死後に飢え続ける鬼になってしまう、という特徴が際立っています。
「餓鬼」の使い方
一般に「餓鬼」と言った場合、仏教用語というよりは、そこから派生した「子どもをいやしめて言う語」を指すことが多いでしょう。「鬼」のイメージが少々似合わないためか、「ガキ」と、カタカナ表記されることも多くあります。
「(貪欲な)子ども」を「悪いことをして報いを受けている亡者」に喩えているわけですから、「餓鬼」という言葉はかなり侮蔑的なニュアンスを含む点に注意しましょう。公共の場などで使用することは差し控えるべきです。
ただし、文化物や、少し前の世代の話し言葉の中では、「悪餓鬼(わるがき)」や「餓鬼大将(がきだいしょう)」など、単に「生意気な子ども」「分別のない子ども」といった軽めのニュアンスで「餓鬼」が使用されることもあります。
「餓鬼」の例文
- 国宝の「餓鬼草紙」(がきぞうし)には、やせこけた餓鬼の姿が多数描かれている。
- ろくに勉強もしていない餓鬼のくせに、度胸だけは一人前だ。
- 近所の悪餓鬼どもが、わが家の壁に落書きをしていくので困っている。
- 漫画『ドラえもん』のジャイアンは、今日も「俺はジャイアン、餓鬼大将~」と陽気に歌っている。
「餓鬼」をもう少し詳しく
「六道」のひとつが「餓鬼道」
仏教では、「天道」「人間道」「修羅道」「畜生道」「餓鬼道」「地獄道」の六種の世界を想定し、これを「六道」(ろくどう、りくどう)と呼んでいます。
ある生命が生まれてから死ぬまでに積んだ功徳や、背負った業(ごう、カルマ)により、霊魂はこれらの道に(段階を経て)輪廻転生すると考えられています。例えば多くの人間は「人間道」に属しますが、悪いことをすれば、霊魂は「地獄道」に落ちてしまうわけです。
「餓鬼道」もまた、前の人生で悪いことをしたために霊魂が「落ちてしまう」場所であり、他の道に転生するのは難しいと考えられています。
「餓鬼」の種類・生態
文献にもよりますが、「餓鬼」にはいくつかの種類があります。基本的に、「生前にどのような悪業を働いたか」により、どのような種類の餓鬼になるかは詳しく決まっています。
例えば、「(生前)自らは食を楽しみながら、子や妻に何も与えなかった者」は、何を食べても吐いてしまう(吐かされる)「食吐」(じきと)という名の餓鬼になるという具合です。
中には「人の残したものは食べられる」という餓鬼もいますが、「満たされることはない」という生態はあらゆる餓鬼に共通です。その他、「触れた飲食物が火や無機物になる」「異物・汚物しか食べられない」などの共通した性質もよく見られます。
「餓鬼」の存在理由
「食欲」は、人間の本能として最も強い欲望と言われます。それに対して食料は無限にはなく、むしろ長い人類史を紐解けば、食料の欠乏(飢餓)に悩まされた時期のほうがはるかに長かったことでしょう。
「餓鬼」や「餓鬼道」の存在には、人々の飢えによる苦しみや、食べ物への醜い欲望を具体化することで、このような存在にならないようにという教訓・戒め・導きがこめられていると考えることができます。
毎日の食べ物に困っていない方でも、「餓鬼道」に落ちないよう、自分の腹を満たすだけではなく、飢えに苦しむ人々に食べ物を与える精神も忘れずにもっておきましょう。