「寂寞感」とは?
「寂寞感」とは、<せきばくかん>と読み、「ものさみしい感じ」「ひっそりとした感じ」という意味の言葉です。
「寂寞感」は「寂寞」(せきばく/じゃくまく)と「感」を合わせた言葉であり、「寞」の字は「莫」や「漠」と書かれることもあります。字の詳しい意味は、後ほど解説します。
「寂寞感」の使い方
「寂寞感」は文語的な表現(文章語)ですので、日常会話よりは小説など表現の世界で用いるものと受け止めましょう。
なぜこのような難しい言葉を使うのか、と疑問に思われる方もいるかもしれません。しかし、表現の世界では人間の心情を深く掘り下げ、よりぴったりとはまる言葉を模索することが珍しくないのです。
ただ「寂しい感じ」と言うだけでは物足りない、もっと心の底がすっと冷たくなるような「寂しさ」の機微(きび)を描写したいと思った際に、「寂寞感」という言葉が候補のひとつに挙がるでしょう。
例文
- 人のいない、夕焼けに照らされた砂浜には、なんとも言えない寂寞感が漂っていた。
- かつて通っていた小学校が取り壊され、更地になっているのを見たとき、私の胸を満たしたのは、悲しみというよりも、寒々とした寂寞感だった。
- 太平洋側とは違う、どこか閉鎖的で寂寞感すら覚える日本海側の冬景色が、私は好きだ。
「寂寞」の字義
「寂」
「寂」(ジャク、さび-しい)の字は、「うかんむり」と音符「叔」から成ります。「うかんむり」は「家(の屋根)」を表し、「叔」は「粛」の字に通じ、「ひきしまる」の意です。(※諸説あります)
「家の中がひきしまる」意から、「家の中が人の声もなくひっそりとしたさま」。さらにそこから「さびしい」「むなしい」という意味を「寂」で表すようになりました。
「寂」の字を含む熟語には、以下のようなものがあります。
- 寂念(じゃくねん)…さびしく静かな思い。
- 寂然(せきぜん)…ものさみしいさま、静かなさま。
「寞」
「寞」(バク)の字は、「莫」の字に通じており、「日が草原に没したさま、日暮れ」がその成り立ちです。「暮」という字もこの「寞」を由来としています。
太陽が見えなくなって日暮れが訪れるさまから、「ない」「さみしい」「しずか」「くらい」、あるいは「果たしてなく広がる」という意味も「寞(莫)」で表すことができます。
「寞」の字を含む熟語には、以下のようなものがあります。(原則として「莫」で置き換え可です)
- 寞寞(ばくばく)…しずかなさま、さみしいさま。
- 落寞(らくばく)…ものさみしいさま。
「寂寞感」の類語
寂寥感
「寂寥感」(せきりょうかん)とは、「ものさびしい感じ」「ひっそりしている感じ」という意味の言葉であり、「寂寞感」とほぼ同義の言葉として使用可能です。
「寥」(リョウ)の字は「家」と「鳥の羽がまばらに開いているさま」により、「家の中がうつろであること」を表すと考えられています。あまりなじみはありませんが、「寥しい」と書けば「さびしい」と読みます。
【例文】:唯一無二の親友が他界したとき、私はこの世にひとり取り残されてしまったかのような寂寥感に襲われた。
蕭条
「蕭条」(しょうじょう)とは、「ものさみしいさま」「しめやかなさま」という意味の言葉です。目に入るものすべてが殺風景でひっそりとさみしいさまを表します。
「蕭」の字には「風や落ち葉などものさびしい音」を形容する意味があり、「寂寞」に似たニュアンスで使うことができます。「蕭蕭」「蕭然」「瀟殺」といった熟語も一緒に覚えておきましょう。
【例文】:街の景色は蕭条たる色を帯びていた。