「寂寥感」とは
「寂寥感」は「せきりょうかん」と読みます。心が満たされない寂しさやひっそりとしたもの寂しさという意味です。
まずは、「寂寥」の字義について確認してみましょう。
「寂寥」とは
「寂」という字は、一説には、屋根の下で、死者の霊を慰めるための豆を右手で持っている様子を表しているそうです。つまり、人がいなくなった寂しさを表現しているのですね。さらに、ひっそりとした静けさも意味するようになりました。
他方、「寥」という字には、寂しい・うつろ・むなしいという意味がありますが、そのほかにも、まばらである・がらんとしているといった意味もあります。数が少ない、あるいは、何も無いので場所を広く感じてしまい、寂しい様子を表しているのです。
つまり、「寂寥」は人が寂しさや静けさに、むなしさや広さといった意味を加えた言葉です。がらんどうな場所に、ぽつんと取り残されるような物寂しいシーンが想像できますね。
「寂寥感」の使い方
感情を表現する場合
「寂寥感」は人の気配がない寂しさ、静まり返ったもの悲しさに対して使います。特定の何かの「不在」を表すのではなく、はっきりとした理由のない、漠然とした寂しさです。
お祭りやパーティ、デートなど楽しいイベントの終わりに感じる、なんとも言いようがない寂しさは「寂寥感」と表すことができるでしょう。また、大切な人を失った喪失感、頼れるもののない人生の孤独といったことに対しても使うことができます。
心情表現として用いる場合は、「寂寥感を抱く」「寂寥感に襲われる」「寂寥感に苛まれる」などといった言い回しが多く見られます。「こみ上げる」や「広がる」でもOKです。
【例文】
- もう自分は社会から隔絶されているという寂寥感に襲われた。
- 可愛がっていた犬を亡くし、寂寥感がこみ上げる。
- こんな寒い夜は寂寥感に苛まれる。
情景を表現する場合
「寂寥感」は、動きや活気のない情景を示す時にも使われます。例えば真冬の山奥や深い谷の様子、雨が降り続く秋の夜長などといった風景を、より情緒的に表現することができます。
「寂寥感」が風景に含まれている場合は、「寂寥感がある」「寂寥感を伴う」「寂寥感に満ちている」などの表現がふさわしいでしょう。
【例文】
- 寂寥感に満ちた、夕焼けに染まる河川敷。
- 寂寥感のある一本道を進む。
「寂寥」の類語
寂しい
「寂しい(淋しい)」は、人や物、音などあってほしいものが欠けていて満たされないという精神的な不足を意味します。心が満たされない・頼りになるものがなくて心細い・ひっそりと静まり返っているといったことですね。
ここから読み取れるように、「寂寥」は「寂しい」という表現のひとつに含むことができます。「寂寥感」を「寂しさ」に言い換えても意味が通じることが多いでしょう。例えば、「秋の夕暮れは寂しさを感じさせる」とも「寂寥感がある」とも言うことができます。
ただし、「寂しさ」を「寂寥感」に置き換えてしまうと、不自然な表現になることがありますので注意が必要です。恋人に会えない時の気持ちを「離れている寂しさ」と言えますが、「離れている寂寥感」で表すのは難しいですからね。
侘しい(わびしい)
「侘しい」とは静けさや心細い、やるせない様子を指す言葉です。これらは、みすぼらしさや貧しさなど物質的な不足感を伴います。「寂しい」が誰かからの愛情や人の営み、にぎやかさといった感情の不足を表すのに対し、「侘しい」はお金や物の不足を示すものです。
ちょっとした音も大きく響くような、何もない部屋を想像してみてください。このニュアンスは「寂寥」に通じるところがあります。しかし、「寂寥」には経済的に貧しいという意味はありません。ここが両者の大きな違いです。
なお、「侘しい」は、華やかさのない情景に対して、ポジティブなニュアンスで用いられることがあります。
空しい
「空しい」とは空っぽで何もない、中身を伴っていない状態を意味しています。「虚しい」とも書くことがあります。特に使い分けのルールはないようですが、何も得られないことの「空しさ」、得た物に価値を感じられない「虚しさ」と使い分ける向きもあるようです。
「空しい・虚しい」は、人も物もなく空っぽになった寂しさという点においては、「寂寥」に近いニュアンスで使えます。