「喜々として」とは
「喜々として」の意味
「喜々として」(ききとして)の意味は、「うれしそうな状態で。よろこび楽しそうな様子で」です。
「喜々として」の構成
「喜々として」は、「喜々とする」の連用形+接続助詞の「て」から成り立っている言葉です。「喜々とする」は、形容動詞「喜々たり」が「する」と結びついて動詞のかたちになったもの、接続助詞の「て」は動作や状態が継続していることを表します。
「堂々として」(どうどうとして)や「寒々として」(さむざむとして)と同じような構成ですね。
「喜々」の表記
「喜々として」の「喜々」は、「嬉々」や「嘻々」と表記されることがあります。また、辞書には一部の表記しか掲載されていない場合もあります。
これらに大きな意味の違いはありませんが、敢えて使い分けるとすれば、次のようなニュアンスで区別すると良いでしょう。
- 「喜々」:喜び楽しそうな様子。うれしげに物事をする様子。
- 「嬉々」:うれしそうに笑っている様子。楽しくよろこんでいるさま。
- 「嘻々」:喜んで笑っている様子。満足しているさま。
なお、「々」は踊り字と呼ばれるもので、同じ漢字を重ねて意味を強調する役割を果たしています。
「喜々として」の使い方
「喜々として」を用いる場合は、対象者に「何か良いことがあったようだ」「これから良いことがありそうだ」という推測が前提となります。
「A君は喜々として働いている」であれば、Aくんがうれしそうにしている理由があります。例えば、「仕事で上司に褒められた」とか「今日は給料日だから」といったことです。
また、「喜々として」は、おもに自分以外に対して使います。「今日は天気が良いので、犬が喜々として散歩に出た」とは言いますが、「今日は天気が良いので、私は喜々として出掛ける」では不自然ですよね。
「喜々として」の例文
- 今日はテストの返却日だが、彼はよほど自信があるのか喜々として呼ばれるのを待っている。
- 彼氏とのデートなのか、妹はメイクをばっちりキメて喜々として出掛けて行った。
- 授業参観に向けて授業の予習を完璧に仕上げていた彼女は、喜々として手を挙げた。
- 上司に褒められたのか、彼はいつになく喜々として仕事に取り組んでいた。
「喜々として」の同じ読み・似た読み方の言葉
「鬼気として」
「ききとして怖かったよ」を「喜々として」と変換してしまうと、「喜びながら恐怖を感じた」という変な意味になってしまいますよね。
「鬼気」(きき)は「ぞっとするような恐ろしい気配」という意味です。「鬼気迫る」(ききせまる:恐ろしく不気味な気配で一杯になること)や「鬼気森然」(ききしんぜん:鋭くただならない気配が漂っている様)のような言い回しでよく用いられます。
誤解を招かずないためには、最初の例文は、「鬼気迫るような感じで怖かったよ」のように表現すると良いでしょう。
「危機として」
「ききとして認識した」を「喜々として」と変換してしまうと、「うれしそうに認識した」という意味になってしまって、おかしな文章になってしまいます。
「危機」(きき)は「大事に至るかも知れない危うい時や場合。危険な状態」という意味です。「危機管理」(事態が破局と収拾との分岐点にある時に安定・収拾の方へ対応策を操作すること)や「危機感」(危機が迫っている不安な感じ)のような複合語でも用いられる言葉です。
最初の例文は、「大雨による増水を地元農業への危機として認識した」のような文脈で用いられるものです。文章の前後を加味すれば、「喜々として」とはかけ離れた意味であることが分かります。
「遅々として」
「ききとして進まない」と言われれば、「喜び浮かれて物事がかえって進まない」ということで意味が通じてしまいそうですが、それは聞き間違いです。正解は、「遅々(ちち)として進まない」ですよね。
「遅々」は「物事の進みが非常に遅く、一向にはかどらない様子」という意味です。類語としては、「膠着状態(こうちゃくじょうたい)」や「袋小路(ふくろこうじ)」などが挙げられます。