「歓喜」の意味
「歓喜」(かんき)とは、「たいそう喜ぶこと」「喜びのために気持ちがたかぶること」という意味の言葉です。
また、「歓喜」は仏教用語としては「かんぎ」とも読み、「宗教的な喜び」を意味する場合もあります(後ほど詳しく解説します)。
普通の「喜び」との違いを知るために、「歓」の字について深めておきましょう。
「歓」の字について
「歓」(カン)の字は、「口を大きく開けてさけび喜ぶ」がもともとの字義です。喜びの気持ちが高まって抑えきれず、快哉(かいさい)の声をあげるさまをイメージすればよいでしょう。
「歓悦」(かんえつ)、「歓娯」(かんご)といった言葉は「歓喜」と同義であるほか、「歓迎会」「歓心を持つ」「歓声を上げる」といった言葉も、大いに喜んで何かをするという意味で日常でも見聞きしますね。
「歓喜」の使い方
「歓喜」は、喜びの感情を表す言葉としては最上級レベルですので、「これ以上はない」と言えるような喜びを指して使いましょう。
「歓」の字義にしたがって、心情表現にとどまらず、喜びのあまり「声をあげずにはいられない」「思わず涙する」「身体が打ち震える」といった身体表現・動作を伴うイメージで使用するのが基本です
例文
- ステージの上で拍手喝采を浴びていたとき、私は深い歓喜の中にいました。
- 戦争の終結を告げる鐘の音が鳴り響き、広場は市民たちの歓喜の声で満たされた。
- 死んだと思っていた彼女が目の前に現れたとき、彼は自分でも気づかぬうちに歓喜の涙を流していた。
- 雨が降り出すなり、子供たちは歓喜して外へ飛び出していった。
仏教用語の「歓喜」
冒頭でご紹介したように、「歓喜」は仏教用語では「かんぎ」と読みます。仏の教えを読み解き、その知恵や慈愛を全身で喜びとともに感じることが「歓喜」です。
菩薩(ぼさつ:悟りを求めて修行する人)が成すべき修行として「十地」(じっち)があり、その第一段階、「煩悩を断じ、自らも仏となるという希望をもつよろこびの境地」を「歓喜地」(かんぎじ)といいます。
「歓喜」の境地が修行の到達点ではなく、第一歩に過ぎないところに、仏法修行の深遠さが表れていますね。(※ただし、修行の段階や考え方については諸説あります)
歓喜天
仏教用語の「歓喜」の関連語として、「歓喜天」(かんぎてん)についても触れておきましょう。「歓喜天」は「聖天様」や「歓喜自在天」とも呼ばれる天部(天界に住む神々)の一員です。
もとはヒンドゥー教の神「ガネーシャ」が仏教に入ったものと考えられており、魔神を支配する善なる神として、災いを退け物事の円満成就を願うためにさかんに信仰されました。日本でも各地の寺院に祀られています。
その姿は「象の頭、人の身体」が有名ですが、男女が向きあって抱擁している「双身像」も多く作られています。密教などでは、男性的原理と女性的原理の合一(による悟りへの到達)を「歓喜」の一形態として捉える風潮もあったようです。
「歓喜」の類語表現
- 欣喜(きんき)…大喜び。
- 欣喜雀躍(きんきじゃくやく)…小躍りして喜ぶこと。
- 随喜(ずいき)…心からありがたく思ってよろこぶこと。仏教用語としても使われる。
- 法悦(ほうえつ)…うっとりする喜び。仏教用語では、仏の道を開いて感じるこの上ない喜び。
- 愉悦(ゆえつ)…楽しみ喜ぶこと。
「歓喜の歌」とは
「歓喜」と聞くと、「歓喜の歌」、すなわちベートーヴェンの「第九」(交響曲第九番、特にその第四楽章)のことを思い浮かべる方も多いかもしれません。
「歓び(喜び)の歌」とも呼ばれるこの歌は、シラーの詩『自由賛歌』(An die Freude)に感動したベートーヴェンが曲をつけたもので、世界ではもちろん、日本でも風物詩といってよいほど定着している有名な交響曲です。
人間の自由と生きる喜びを力強く歌った「第九」の歌詞と曲調は、まさに「歓喜とは何か」を表現するにふさわしい楽曲といえるでしょう。
「歓喜の歌」を動画で
動画時間が長いためご注意ください(約24分)。歌詞が入るのは6分~。
「歓喜の歌」の歌詞(冒頭部分のみ)
Sondern laßt uns angenehmere
anstimmen und freudenvollere.
(おお友よ、このような旋律ではない!
もっと心地よいものを歌おうではないか
もっと喜びに満ち溢れるものを)
Freude, schöner Götterfunken,
Tochter aus Elysium
Wir betreten feuertrunken.
Himmlische, dein Heiligtum!
(歓喜よ、神々の麗しき霊感よ
天上楽園の乙女よ
我々は火のように酔いしれて
崇高なる者よ、汝の聖所に入る)