「謬見」とは?意味や使い方をご紹介

「謬見(びゅうけん)」という言葉をご存知でしょうか。「謬」という文字は画数が多く、意味はおろか読み方の分かった方もそれほど多くないかも知れません。ここでは「謬見」の意味や使い方、「謬」を含むその他の単語の意味をご紹介します。

目次

  1. 「謬見」の意味
  2. 「謬見」の使い方
  3. 「謬見」の類語
  4. 「謬」を含む言葉

「謬見」の意味

謬見びゅうけん)」とは「誤った意見、間違った考え」という意味です。ここでの「」は、「あやまり、間違い」を表します。また、「」は「物に対する見方考え」などを指しています。

「謬見」の使い方

  • 先ほどの彼のコメントは、無知からくる謬見にすぎない。
  • この記事を読めば何が謬見につながったか分かるだろう。
  • 謬見を抱いたままでは一向に話し合いが進まない。
  • 思慮深い彼らが、なぜ謬見にとらわれてしまったのだろうか。
  • 間違いや謬見が起こることが悪いのではない。

「謬見」の類語

「誤解」

「誤解」(ごかい)とは、「事実や言葉の意味を取り違えること、間違った理解や解釈をすること、思い違い」という意味です。「謬見」と似ていますが、「誤解」の方が受け手の捉え方に留まるニュアンスが強いと考えられます。

また、「誤解」は「誤解する」という動詞形で使いますが、「謬見」は「謬見する」とは言いません。

【例文】

  • 誤解を招かないように表現には十分注意しなければならない。
  • 世間の誤解を解くのは、それほど簡単なことではない。

「錯誤」

「錯誤」(さくご)は、「間違うこと」、また「客観的事実と人の認識(主観)が一致しないこと」を指す言葉です。「謬見」のように「考え方・意見」という意味は含みませんが、比較的意味が近いと言えるでしょう。

【例文】

  • 私は彼が志同じくした仲間であると錯誤していた。
  • 彼は自説の錯誤があるのではないかと疑い始めた。

「謬」を含む言葉

「誤謬」

誤謬」(ごびゅう)は、「間違えること、考えや知識などのあやまり」を表します。「誤謬」は論理学においても用いられる言葉です。単なる「あやまり」という意味がある点においては「謬見」と異なります。

以下の引用は、チェスよりも囲碁の方が思索的知性を要するという説明で、チェスが奥深いゲームだという考えが誤りであると指摘している場面です。

チェスは、駒がいろいろと奇妙な動き方をするし、その価値もさまざまで、しかも変るものだから、ただ単に複雑だというだけで(よくある誤謬だが)、なにか深奥なもののように誤られる。

ーエドガー・アラン・ポー『モルグ街の殺人』/訳:佐々木直次郎ー

無謬

「無謬(むびゅう)」とは、「あやまりがないこと、間違いがないこと、そのさま」を意味します。ここで、以下の『日本経済新聞』のコラムの引用を見てみましょう。

日本の政府や大企業の官僚組織でほとんど無意識のうちに前提とされているのが、「無謬(むびゅう)性の原則」である。「ある政策を成功させる責任を負った当事者の組織は、その政策が失敗したときのことを考えたり議論したりしてはいけない」という信念だ。

ー2018年5月22日『日本経済新聞』「大機小機」よりー

ここでは、間違いや失敗がないことを「無謬」と言っています。政府などでは、これを前提としているので、失敗した場合の次善策やリカバリポイントは考えていないことと指摘しています。

また、キリスト教においては、聖書が道徳的な意味においてあやまり得ないことを指す「聖書無謬説(せいしょむびゅうせつ)」という言葉もあります。これは聖書をどうとらえて理解するかという根本的な思想に関わるものです。


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