「一瞬」の意味
「一瞬」(いっしゅん)とは、「一回またたくこと」、およびそこから転じて「(まばたきするような)きわめてわずかな間」という意味の言葉です。
一般に「一瞬」と言った場合は、「まばたきをする動作」ではなく、比喩的に「まばたきするような短い間(時間)」を表します。
「一瞬」にかかる時間
普段、無意識に行われるまぶたの開閉運動(=一瞬)にかかる時間は、おおむね100ミリ秒(1/10秒)~200ミリ秒(2/10秒)ほどとされています。
しかし前項で述べたように、「一瞬」は一般的には比喩的な意味として使われますので「実際にまばたきにかかる時間」をこの表現の根拠とする必要はありません。
客観的に「十分に短い時間」と言えるのであれば、100ミリ秒未満、あるいは2~3秒ほどかかるような動作、さらには「大きな尺度で見た場合の小さな尺度の出来事」も「一瞬」と呼ぶことができます。
「瞬」の字について
「瞬」(シュン、またた-く)の字は、「目」と「舜」(=はやい、「駿」の字にも通じる)から成り、「まばたきする」意を表します。
「一瞬間」「瞬時」「瞬刻」「瞬く間」「転瞬」「瞬息」といった言葉などは、「一瞬」と同じような意味(類語)として使うことができます。
「一瞬」の使い方
例文
- 車が突っ込んできたその一瞬、彼は何が起こったのかわからず身体を硬直させた。
- 卓球のような瞬発力を競うスポーツでは、一瞬の判断や身体捌きが勝負を分かつことも珍しくない。
- その恐ろしい災害は、一瞬ごとに街の姿を変えていった。
- 人類が誕生してから今日この日までの時間など、地球にとっては一瞬に等しい出来事だろう。もう一瞬後にはどうなっているかわからない。
「一瞬」の類語表現
「一瞬」の類語表現として、「瞬」の字を使うものは先にご紹介しましたので、ここではそれ以外の言葉をご紹介します。
刹那
「刹那」(せつな)とは、「きわめて短い時間」の意味です。もとは仏教用語であり、「一弾指」(いちだんし:指でパチンとはじく時間)の中に「65刹那」があると言われています。
実際の運用上としては、「一瞬」とほぼ同じような感覚で使うことができます。
【例文】
- 衝突の刹那、車は火を噴いた。
- 彼女は刹那的な生き方をしていて、今この瞬間さえ幸せなら良いと考えている。
須臾
「須臾」(しゅゆ、すゆ)は、「ちょっとの間、しばらくの間」という意味の言葉です。また、数の単位として「10のマイナス15乗」(一千兆分の一)という非常に小さな数を表す意味もあります。
こちらも仏教用語に由来する言葉であり、単位系としては、「須臾>瞬息>弾指>刹那」の順で小さくなります(この中では「須臾」が一番大きい)。
「一瞬」よりは時間の幅がやや広めのイメージですが、「少しも~ない」「わずかな時間」というニュアンスがあるため、「一瞬」と似た使い方ができます。
【例文】
- ようやく手にした私の幸福は、須臾のうちに失われた。
- 須臾の間、男二人は向かい合って攻撃の機会をうかがっていた。
咄嗟
「咄嗟」(とっさ)という言葉には「ちょっとの間」「たちどころ」「瞬間」という意味があります(他に「舌打ちして嘆くこと」「息をはくこと」という意味もあります)。
「咄嗟」よりは、ひらがなで「とっさ」と書かれるほうが多いかもしれません。
【例文】
- 彼は彼女を救いたい一心で、咄嗟に「その時間、彼女は僕と一緒にいました」と嘘をついた。
- 乱暴者が押し入ってきたとき、彼は咄嗟に剣に手を伸ばした。
玉響
「玉響」(たまゆら)とは、玉が何かと触れ合ってかすかに音を立てる意から、「ほんのしばらくの間」「一瞬」といった意味の言葉です。玉の響きが一瞬立ち、そして消える、そんな儚いニュアンスも含まれています。
万葉集や方丈記などに用例があるものの、現代においては古典文学などの専門的な領分を除いてはほとんど使われていないと言ってよいでしょう。
【例文】(『方丈記』より)
(訳:わずかな時間であっても、自分の身体を休ませることができるだろうか)