「須臾」とは?
「須臾」は<しゅゆ>と読み、以下の2つの意味があります。
- しばらくの間
- 非常に小さな数(単位のひとつ)
ここでは、これらの意味を順に解説していきます。
別の読み方
「須臾」は、<すゆ>と読まれることもあります。また、上の1番目の意味から、<しばらく><ちょっと>など、意味による読みを当てられることもますが、これらの読み方をすることは稀です。
「須臾」:①しばらくの間
「須臾」の一つ目の意味は、「しばらく」「ちょっと」「少しのあいだ」「当分のあいだ」など、時間や頻度を表すものです。
頻度を表す言葉の中では比較的「短い時間」のニュアンスであり、日常で誰かに呼ばれたとき、「ちょっと待ってて」「今しばらく」と返す程度のわずかな時間を表します。とはいえ、時間の感覚は人それぞれですから、実際の運用にはある程度の幅があります。
現代ではほとんど使われていない古風な表現です。もし見かけるとすればやや堅めの文学作品の中などに限られます。日常生活で気軽に使用できる言葉ではありませんのでご注意ください。
用例
- あれから長い月日が流れたが、彼女のことは須臾も忘れたことがない。
- 椅子に座った彼は、須臾のあと、あの日の出来事を語り始めた。
- 私と彼が目を合わせていたのは、須臾の間だった。
「須臾」:②非常に小さな数
「須臾」には、数の単位としての意味があります。「一」「十」「百」「千」…などと並び立って、「須臾」という位(くらい)があるということですね。
「須臾」が表すのは小数(1よりも小さな実数)であり、その位は「10のマイナス15乗(10^-15)」。小数表記すると「0.000000000000001」という、途方もなく小さな数です。
「一須臾」は「1000兆分の一」。身近なものでこの数の小ささを例えると、おおよそ「三回連続で年末ジャンボ宝くじの一等に当選する確率」と言えます。「ほぼありえない」と言ってよい、奇跡に等しい確率ですね。
日本語の単位系
日本語の単位系について、「須臾」も含めて簡単にご紹介します。
大数(1より大きい数) |
十、百、千、万、億、兆、京、垓、𥝱、穣、溝、澗、正、載、極、恒河沙、阿僧祇、那由他、不可思議、無量大数 |
小数(1より小さい数) |
分、厘、毛、糸、忽、微、繊、沙、塵、埃、渺、漠、模糊、逡巡、須臾、瞬息、弾指、刹那、六徳、虚空、清浄 |
この中で、日常で使用されている数は、大数はせいぜい兆か京まで。小数は分、厘ほどまでです。それを超える単位が必要とされるような分野(理数化学など)でも、通常は国際的に通用する「(有効数字)×10の冪乗」という形式を用います。
何のための単位なのか?
「須臾」のような、非現実的とも思える数を表す言葉は、いったい何のために作られたのでしょうか?一説には、神仏の力の大きさを表すためであると考えられています。
例えば、「神仏はどこまで遠くを見ることができるか」「神仏はどこまで細かく物を見ることができるか」と考えるとします。神や仏の能力は人間のそれをはるかに超えており、限りなく大きい(または小さい)数を想定しなければなりません。
そこで、神仏の能力を量的に表すため、実生活で使用する数とは文字通り桁違いの、「想像力が及ばないような数」が作られたというわけです。実際に「須臾」をはじめ、先に紹介した単位の名はほぼすべてが仏教用語に由来しています。
「須臾」の語源
元々はインドの時間単位「ムコリタ」
「須臾」の由来は、古代インドで使われていた時間の単位「ムコリタ」です。文献によって多少の差はありますが、この「ムコリタ」を漢語訳したものが「須臾」であると考えられています。
そして、当時の仏典には、「一昼夜を三十須臾とする」という記述があります。一昼夜を一日(24時間)と解釈して、これを30で割ると、一須臾は「48分」と計算できますね。
当時本当にこのような時間区分が使われていたのかは定かではないものの、ここから「しばらく」「ちょっとの間」などの意味が生じたと考えられています。
中国で小数の単位に
その後、中国においてこの「須臾」が「10のマイナス15乗」を表す小数の一単位として使用されることになりました。
元々の「48分」からはかなり数が小さくなった印象もありますが、もともと「須臾」は正確な時間区分というよりも、「ちょっとの時間」という意味だったようですので、その意を取られて小数表記として採用されたのではないかと考えられます。
日本語の「須臾」は中国から伝わったものですが、「48分」から「しばらく」の意味が、中国の単位系から「非常に小さい数(単位)」の意味が、両方とも残った形です。