「推歩」とは
「推歩」は「すいほ」と読みます。日常生活では、なかなか目にしない言葉ですね。国語辞典にも掲載されていないことがあるほどです。以下の2つの意味を持ちますが、現在では2つ目の意味で使われることはほぼありません。
- 天体の運行を推測すること。暦などの計算をすること。暦学。
- たどるようにして歩くこと。
「推歩」の意味①「暦学」
「推歩」の一つ目の意味は「暦学」です。「暦学」とは、天文学の古い呼称です。古代の天文学が、暦を編纂するために研究された学問であるために、「暦学」と呼ばれています。
「暦」そのものを作成するための理論や計算について研究する「暦算天文学」の略称として、「暦学」という言葉を使うこともあります。
「推歩」の使い方
- 当代一の推歩学の権威といえば、やはり彼の名前が挙げられるだろう。
- 推歩の学の発展は、人類に多大なる恩恵をもたらした。
「暦学」にまつわる事柄
「暦」の起源
「暦学」にまつわる事柄について見ていきましょう。まず「暦」についてです。
「暦学」の「暦」の漢字は、訓読みで「こよみ」と読みます。つまり現代のカレンダーのことです。「暦」の起源については諸説ありますが、古代エジプトで考えられたという説が有力です。
古代エジプトでは、毎年決まった時期にナイル川が氾濫しました。川の氾濫は古代エジプト人にとって、土地を肥やしてくれると同時に彼らの生活の安全を脅かす重要な出来事でした。
「暦」は、ナイル川の氾濫の時期を、天体の状態から割り出すという発想から生み出されたと言われています。
「暦注」
「暦注」(れきちゅう)とは、暦に記載される、その日の吉凶に関する情報のことです。カレンダーを見ると、日付や曜日のほかに「四緑(しろく)」「九紫(きゅうし)」「大安(たいあん)」「友引(ともびき)」などと書いてあることがありますね。
これらはすべて吉凶を占うためのものです。「四緑」「九紫」は「九星(きゅうせい)」、「大安」「友引」は「六曜(ろくよう)」という考え方に分類されます。
「暦注」の研究も「暦学」のひとつとされていましたが、現在は「占星術」の一種とされ、天文学とは別なものとして扱うのが一般的です。
「暦学者」
「暦学」の研究者のことを、「暦学者」「暦法家(れきほうか)」と言います。冲方丁さんの小説『天地明察』のモデルとなった渋川春海(しぶかわ はるみ/しゅんかい)などが有名です。
また、江戸時代に正確な日本地図を作ったことで知られる伊能忠敬も、天文を学んだ暦学者の1人です。
「推歩」の意味②「たどるように歩くこと」
「推歩」の二つ目の意味は「たどるように歩くこと」です。「たどるように歩く」とはつまり、「歩測」を指します。
暦学において、「歩測」はとても重要な技術でした。そこから転じて、「推歩」という言葉が「天体の運行を推測すること」という意味を持つようになったと思われます。
また、比喩的に、「あの偉大な先達の足跡を推歩することは難しい」というように使うこともあります。
「推歩先生」とは
「推歩先生(すいほせんせい)」は、江戸時代の天文学者伊能忠敬のあだ名です。忠敬は、婿養子に入った商家を立て直し、名主としても十分な実績を上げたあと、49歳で隠居をしてから暦学を学んだという異色の経歴を持っています。
50歳の忠敬が暦学の師としたのは、当時31歳、19歳年下の幕府天文方、高橋至時(たかはしよしとき)でした。寝る間も惜しんで熱心に暦学を学んだ忠敬は、「推歩先生」のあだ名で呼ばれて親しまれていたそうです。
一説には、弟子入り当時の忠敬は推歩(歩測)が苦手で、師である至時に報告した歩測の結果が12%もの誤差を有していたため、からかいと励ましの意味をこめて「推歩先生」と呼ばれた、とも言われています。
気さくな人柄で築いた人脈と、50歳から新しいことを学ぶ情熱をもって日本地図作成に挑んだ忠敬は、74歳でこの世を去るまで実に10回もの測量旅行を行いました。その範囲は蝦夷地(現在の北海道)から、屋久島、種子島までに及びます。
忠敬の死後は弟子がその死を隠したまま事業を引き継ぎ、3年後に『大日本沿海輿地全図』を完成させたということです。