「俗世」とは
「俗世(ぞくせ)」とは世の中や世間一般など普通の人の世界です。多くの人が暮らしている、一般的で日常的な生活のことです。
「俗」の字からわかるように、高尚ではなくむしろ下品な、卑しくて欲にまみれた世界というニュアンスがあります。そのため、「俗世」は宗教的な世界と対をなす世界として使われます。お坊さんや神父さんのような宗教家以外の世界です。
「俗世」の使い方
俗世を離れる
「俗世を離れる」や「俗世を絶つ」とは世間から離れる、社会とのかかわりを絶つことです。人との交流をやめ、自然の中に身を置く、学問や芸術に身を置く、あるいは端的に出家することを指します。
ここでの「俗世」とは欲望や煩悩を刺激する場所、悩みの種となる世界です。社会から距離を置くことで欲望や苦悩に煩わされず静かに生きることができます。いわゆる隠遁(いんとん)生活です。
禁欲的な生活を送るという意味合いが強い表現ですが、「象牙の塔」のように現実逃避や世間からの逸脱という意味でも使われます。
【例文】
- 定年退職後、友人は俗世を離れて出家してしまった。
- この場所には俗世を離れた仙人が住んでいたそうだ。
- 俗世を離れて静かに暮らしたいものだ。
俗世にまみれる
「俗世にまみれる」や「俗世に染まる」は大衆的な快楽や欲望に囚われているという意味です。宗教家たちの禁欲的な生活とは真逆の煩悩に囚われた生き方です。
たとえばお金や快楽の獲得、地位や名誉といった社会的ステータス、恋愛や結婚など思慕の念。これらはどれも俗世にまみれた欲望です。社会から離れた生き方には、まるで無縁です。
【例文】
- 君はまだ俗世にまみれた生き方をしているのか?
- 俗世にまみれた垢がおちていないようだな。
- 昔は純粋だったのに、すっかり俗世に染まってしまった。
「俗世」と「世俗」「世間」の使い分け
一般人の生きる社会を指す言葉は「俗世」だけではありません。「世俗」や「世間」も大まかな意味は同じです。次のように使い分けます。
- 俗世:普通の人々が生きている世界そのもの。清浄な世界と対比される俗な世界。
- 世俗:一般人が生活している世界やそこでの生活習慣。世の俗、世の習い。
- 世間:自分や周囲の人が暮らしている社会。手の届く交友範囲。
「俗世」の反対語
「俗世」の反対語は「浄土」です。「浄土」とは仏教で煩悩(ぼんのう)や欲望のない場所とされている理想的な世界です。「穢土(えど)」とも呼ばれる穢(けが)れた世間とは真逆です。悟りを開いた求道者だけが死後に行けるとされています。
キリスト教でいう「天国」にも似ていますが、こちらは「俗世」の反意語としては使われません。「俗世=欲に汚れた世界」であり、反対は「浄土=欲や穢れのない世界」です。「天国」は苦痛や心配のない場所であり、苦痛に満ちた「地獄」と対比されます。
「俗世」の類語
娑婆(しゃば)
「娑婆(しゃば)」は元々仏教用語です。「忍土(にんど)」とも言われる苦しみに耐えるためのこの世界のことです。そこから、この世界そのものや世間一般という意味になりました。
自由な世界という意味は江戸時代の遊郭に由来します。遊郭は外の人にとっては極楽浄土ですが、遊女にとっては不自由な閉じられた世界です。そのため、「遊郭=極楽浄土」の対になる世界という意味で「外の世界=娑婆」と呼ばれるようになったそう。
「俗世」が欲にまみれた汚れた場所であるという否定的な意味合いで使われるのに対し、「娑婆」は上記のように苦しくても自由がある世界という肯定的な意味で使われます。
浮き世(うきよ)
「浮き世(うきよ)」とはこの世や現世、俗世のことです。元々は「憂き世(うきよ)」と「浮世(ふせい)」という2つの言葉が結びついてできた言葉です。
「憂き世」にはつらくて嫌になる世界、「浮世」には夢や幻のように消えてしまうはかない世界という意味があります。そのため、「浮き世」にはつらくはかないというニュアンスがあります。また、享楽的で退廃的という意味も。