「疑心」とは
一般的には
「疑心」の一般的な意味は、何かを疑う心や疑いの気持ちです。疑念や疑義と言い換えることもできます。確実で確かなものと信じることはできない一方で、絶対にありえないと退けることもできない中間状態です。
人に対して使う場合には信用・信頼ができない、不信感があるという意味です。性格や言動、動機などが疑わしく嘘を言っているように感じられる、期待に応えてくれない気がする際に使用します。
また、論理や推理においては根拠・証拠の信ぴょう性への疑いです。法の分野なら信用性といいます。信ぴょう性・信用性はどちらも信用できる程度のことです。示された証拠が疑わしく、信用しかねるという思いですね。
仏教用語としては
仏教用語としての「疑心」は煩悩の一つで、特に仏教的真理や教えを疑う心のことです。悟りなんてあるわけがない、仏陀の教えは間違っているといった考えですね。
煩悩とは歪んだ感情や思考、欲望などの心の働きです。人間が生きていくうえで苦しみの原因になるものとされています。日本では煩悩は108あるという説が有名ですが、煩悩の数は時代や宗派によってもさまざまです。
煩悩の中でもとりわけ核心的なものは根本煩悩と呼ばれています。根本煩悩は貪(とん)、瞋(じん)、癡(ち)、慢(まん)、疑心(ぎしん)、悪見(あっけん)の6種類です。それぞれ、強欲、激怒、愚かさ、傲慢、疑い、邪な考えです。
「疑心」の使い方
主な使い方
「疑心」は主に次のような形で使われます。
- 疑心が募る:もともとあった疑いがさらに大きくなる
- 疑心に囚われる:疑いの念から抜け出すことができない
- 疑心にかられる:疑いの気持ちに動かされる
- 疑心を抱く:疑う気持ちがある
- 疑心を起こす:疑い始める
- 疑心を買う:疑われる
例文
- 最近は連絡してもすぐに返信してくれることが無く、ますます疑心が募る。
- 決算報告書では黒字だが、他の資料との整合性がなく、疑心を抱かざるを得ない。
- 疑心にかられた恋人が乗り込んできたらしく、一時騒然となった。
「疑心」を含む言葉
疑心暗鬼
「疑心」は日常生活では「疑心暗鬼」という四字熟語の一部としてよく使われます。「疑心暗鬼」とは疑いの心でもって見れば、何でもないことまで疑わしく感じられてしまうという意味です。次のような逸話に由来します。
昔、ある男が愛用していた斧をなくしてしまいました。もしかしてお隣さんの息子が盗んだんじゃないだろうか、とその男は疑いました。言動に注意してみると、いかにも怪しく感じられます。ところが、斧は別の場所で見つかりました。無実だったのです。その後は疑わしく感じることもなくなったそう。
このように、疑いの目をもって見れば何でも疑わしくなります。それを鬼がいると思えば暗闇が怖くなることにたとえて、「疑心、暗鬼を生ず」というようになったとのことです。
猜疑心(さいぎしん)
「猜疑心(さいぎしん)」とは人の言動や心を疑う気持ちです。特に、相手が何か企んでいるのではないかと疑ったり妬(ねた)んだりする気持ちです。
「親切心から行動してくれるはずがない、何か下心があるはずだ」「あいつが何かするせいで自分が不利益を被るに違いない」といった気持ちが猜疑心です。「疑心暗鬼」と同じような意味です。
懐疑心(かいぎしん)
「懐疑心」とは物事を疑う気持ちです。正しいとも間違っているともいえるだけの判断材料がないので、いったん判断を保留している状態です。不信感から疑うという意味ではありません。
「懐疑」は哲学や論理学などで用いられることの多い言葉です。人間に対して使うこともありますが、どちらかと言えば証拠不十分な論理や理論に対して使われます。