「衒い」とは?
「衒い」(てらい)とは、「知識や才能などをひけらかすこと」という意味です。「見せびらかすこと」や「自慢すること」と言い換えても良いでしょう。
動詞「衒う」(てらう)の名詞的な表現であり、「衒い〇〇」のように何かを形容する言葉ではありませんのでご注意ください。
「衒」の字義解説
「衒い」を深く知るために「衒」(ゲン)の字義についても知っておきましょう。
「衒」の字の構成をよく見ると、「行」のあいだに「玄」が挟まれていることがわかりますね。「行」は「みち」「すすむ」「いく」などの意味、一方の「玄」(ゲン)は「言」(ゲン)に通じ、何かを「言う」という意味です。
ここから、道を進みながら何かを話している様子を示し、「歩き売りをする」「自らを宣伝しながら歩く、売り込む」、そして「ひけらかす」という意味にも通じているわけです。
「衒い」の使い方
「衒い」という言葉を日常生活で見聞きすることはあまり多くないでしょう。難読語であるほか、「見せびらかしている」「自慢している」などの言葉のほうがはるかに馴染みがあるためです。
衒うものは、知識、才能、学歴、容姿、性格、態度、振る舞い、創作物など、何でも構いません。それらをこれ見よがしに自慢しているさまを指して、「衒っている」「衒いがある」と表現します。
言葉の性質上、基本的には良い意味では使われない言葉なのですが、下記に説明しますように「衒いのない」と否定形にすることで、誉め言葉として使用する例が多くみられます。
「衒いのない」
「衒いのない」(衒いがない)とは、読んで字の如く衒いがないこと、すなわち自分の才能や知識などをひけらかすことない様子、「謙虚なさま」「素直なさま」を表す言い回しです。
人を誉める際の定型表現として今日でもある程度使用されており、「衒い」単体よりも、「衒いのない」という形で見聞きすることのほうが多いかもしれません。
「奇を衒う」
「衒い」にまつわる慣用表現として「奇を衒う」(きをてらう)もご紹介しておきます。「奇を衒う」は、「一風変わったことをしてみせる」という意味です。
「奇を衒う」には「他人の気を引きたいがために、わざと突飛な方法をとる」というニュアンスがあり、基本的に良い意味で使われることはありません。
例文
- 衒いが感じられる文章だ。この筆者は、よほど自分が偉くて賢いと思っているんだな。
- 衒いのない文章だ。自分が実際に経験し感じたことが、素直に文章に表れているね。
- その大学教授は、小学生がした素朴な質問に「それは自分もわからないんだよ、一緒に考えよう」と何の衒いもなく答えた。
- 物語の整合性を無視した荒唐無稽なマンガの展開を、読者は「奇を衒いすぎている」と批判した。
「衒い」の類語表現
「衒い」の類語表現をいくつかご紹介します。
「衒い」は、ひけらかす対象を選ばず広く使える言葉なのですが、以下に紹介する言葉は何をひけらかすのかがある程度決まっておりますので、その点のみご注意ください。
「気取り」
「気取り」(きどり)には、「気前」や「様子」という意味もあるのですが、一般的な用法としては「衒い」に似て体裁を飾ること、もったいぶることなどの意味で使われています。
「学者気取りのしゃべり方」「気取った歩き方」などのように、主に外見、他人が見た時の印象を飾り立てることを指して用います。
「すかす」
「すかす」は、上で紹介した「気取り」と同じように、体裁を飾っているさまを指す言葉ですが、「気取り」よりはやや俗語的なニュアンスが強くなっています。
「すかした野郎だ」「すかした顔をしやがって」などの口語的表現は、ドラマなど創作物の中で見聞きしたことがあるのではないでしょうか。
「みえっぱり」
「みえっぱり」(あるいは「みえをはる」)は、うわべを繕って必要以上によく見せようとするさまを言う言葉です。漢字では「見栄っ張り」と書きます。
「金もないのにみえをはって遊びまわる」などのように、こちらも外見的な体裁・虚飾について用いられます。
「衒学」
「衒学」(げんがく)は、学をひけらかすこと、すなわち学問があることや学問的知識をひけらかして自慢することを指す言葉です。
「衒学的な文章だ」などのように用いられます。一般にはあまり知られていない言葉ですので、考えようによっては「衒学」という言葉自体も、衒学的であると言えるかもしれませんね。