「至言」とは?
「至言」の読み方は(しげん)です。(しごん)と誤って読まれる場合も多い言葉ですので、正しい読み方を覚えておきましょう。
「至言」とは、ある事柄の本質をきわめて適切・的確に言い当てている言葉、という意味です。もともとは、いにしえの中国の言葉で、『荘子』などに見られます。
ここでいう「本質」とは、形而上的なものであり、「その事柄の本質、性質、あり方」などを意味する現在とは異なる意味、用法を持っていました。
「至」という字にはいくつかの意味がありますが、「至言」の「至」は「このうえない所まできわめる」という意味で用いられています。
「言」は、ここでは「言葉」という意味であり、「至」と「言」が重なり、本質をこのうえなくきわめて言い表した言葉、という意味を構成しています。
「至言」の使い方
「至言」とは、「事柄の本質を的確に表した言葉」です。本質について言及されていれば、その事柄が良いことであろうと悪いことであろうと用いることができます。
類語として扱われる「金言」は、座右の銘にしたくなるような、素晴らしい言葉ですが、「至言」の場合は本質をついていればなんでもあり、ということです。
「まさに」「けだし」などの言葉を前におぎない、きわめて的確である、というところを強調する言い回しも多くみられます。
当然のことですが、ある事柄の内容と、それについての言葉が必ず文章のなかに存在し、それを指すかたちで「至言」を用います。単体で唐突に「彼の言葉は至言であった」などと使うことはできません。
「至言」の文例
(A男)
「結婚前は両目で見よ、結婚したら片目で見よ」という言葉があるけれど、あれはまさに「至言」だね。結婚してみると、しみじみとわかるよ。
(B子)
あゆみちゃんって、すごい美女なのにダジャレや1人乗り突っ込みを連発するじゃない。鈴木君の、「黙ってさえいたらセレブお嬢様なのに」という評価、彼はまさに「至言」を語っていたわ。
(C男)
「努力も才能のうち」っていう言葉は、けだし「至言」だよ。自分の人生はどうだったか、顧みたくなるものな。
「至言」の類語
「名言」の意味と使い方
「名言」とは、事柄の道理や本質をよくとらえたすぐれた言葉、名高い言葉のことです。「至言」とほぼ同義ですが、「すぐれた」「名高い」という部分にわずかな相違点があります。
「至言」も、すぐれて名高いとされる言葉のことを指す場合も多々あるのですが、前述のように、すぐれていなくても、名高くなくても「至言」は成立し得るという点が、「至言」と「名言」の違いです。
- クラーク博士の「少年よ大志を抱け」はまさに名言だが、現代においては、そこに「少女」も加えるべきと思われる。
- ジョン・レノンの『イマジン』の歌詞は名言の宝庫だよ。国歌ならぬ、地球歌として歌い継ぎたいね。
「金言」の意味と使い方
「金言」(きんげん)とは、人が生きていくうえで手本とすべき、すぐれた言葉のことです。仏教用語としては、(こんげん)と読み、仏が語る尊い教えのことを指します。
人生で手本とするほどの優れた内容である、という点は、同様の意味も含むとはいえもう少し軽いニュアンスの「至言」「名言」とは一線を画す感があります。
「金」の言葉、もう一つの意味は仏の言葉ですから、素晴らしさも光り輝くばかり、というところでしょうか。
- 「人生は道路のようなものだ。一番の近道は、たいていの場合一番悪い道だ」というフランシス・ベーコンの言葉は金言だ。人間は、困難な状況からこそ多くを学ぶことができるのだから。
- 「思い煩うな。なるようにしかならないのだから、今を切に生きよ」という仏陀の言葉はまさに金言だ。どんなことがあっても、「今」という瞬間は希望につながる。