「寡聞」とは
「寡聞(かぶん)」という言葉は漢文に由来する二字熟語です。その意味するところは「見聞(けんぶん)がせまいこと、知識の乏しいこと。また、そのさま」です。
簡単に言えば、「ある人が勉強不足だったり、経験が乏しかったりして、知っているべき知識を知らないこと」を意味しています。
「寡聞」の意味
寡
「寡聞」の「寡」は普段あまり使われませんが、いくつかの意味を持っている言葉です。例えば「寡婦(かふ)」というと「やもめ」、つまり夫を失った未亡人のことを意味しています。
また、それとは別に「少ない」という意味があります。物事の「多さ、少なさ」を表す言葉として「多寡(たか)」というものがあります。「寡聞」の「寡」はこれと同様に、少ないこと、足りないことを意味しています。
聞
「寡聞」の「聞」は、「見聞」や「新聞」の「聞」と同様の言葉であり、「耳で聞く」だけではなく「聞いて知る」ことができる「知識」そのものを表していると言えるでしょう。
「寡聞にして〜」
日本語の中で「寡聞」という言葉には、非常によく使われる表現があります。それが「寡聞にして存じません」という表現です。
これは簡単に言えば「私は世間知らずなので(勉強が足りなくて)、(そのことについて)知りません」という意味で、自分から相手にへりくだって言う謙譲語です。
「寡聞にして〜」と言う表現は、会社や目上の人に対して用いられる、謙譲語の中でも代表的な一例といえます。そのため「寡聞」という言葉は他人に対してではなく、自分に対して用いられるのが一般的です。
使用例
- その議論に関しては寡聞にして知りません。回答は差し控えたいと思います。
- ご家族が亡くなられたこと、寡聞にして存じませんでした。この度はご愁傷様でした。
- 世間に背を向けて狭い世界に閉じこもる人のことを「孤陋寡聞(ころうかぶん)の人」と言います。