「多寡」の意味
「多寡(たか)」とは「多いことと、少ないこと」を指す言葉です。やや堅苦しい言葉なので、フランクな日常会話や雑談などではあまり使われていません。どちらかと言うと学術書や小説、ビジネス文書などで見かけることが多い表現です。
「多寡」と「多少」
「多寡」と同じく「多いか少ないか」を意味する言葉として「多少(たしょう)」が挙げられます。こちらのほうが砕けた表現ですので、気軽に使うことができます。
ただし、「多少」という言葉は「少量の」という意味で用いられることがあります。例えば「多少のミスは目をつぶる」のような使い方です。「多寡」にはこのような意味はありません。
「多寡」の使い方・例文
(A)
芸術作品の良し悪しは、必ずしも人気票の多寡で決まるわけではない。
(B)
財産の多寡によって人の価値が決まるわけではないだろう。
(C)
アクセスの多寡を調べることで、力を入れるべき分野が見えてくるはずだ。
「多寡」の語源
「多寡」はご覧の通り「多」と「寡」を組み合わせた言葉です。「多」という漢字は「(数や量などが)たくさんある」という意味を持ちます。「多い(おおい)」や「過多(かた)」など、普段よく見かけるおなじみの漢字と言えるでしょう。
一方で「寡」については、見かける機会は少ないかもしれません。「寡」には「少ない」「独り者」「弱い」などの意味があります。「多寡」では「少ない」という意味で使われています。
「多寡をくくる」は誤用?
物事に対して「その程度だろうと安易に予測する」「大したことはないと見くびる」ことを「高をくくる(たかをくくる)」と言いますが、古い文章や小説などでは「多寡をくくる」と表記しているものもあります。
「高をくくる」の「高」は、近世の日本において米の生産量の単位として使われた「石高(こくだか)」に由来しています。敵の領地の「石高」を低く見積もり、充分な準備をしなかったため敗北したことを「たかをくくった」と表現するようになりました。
このため、語源の通りに表記するなら「高をくくる」が正しいことになります。また現代においても「多寡をくくる」と表記する例はあまり見られないことから、やはり「高をくくる」と表記するのが無難でしょう。