「無聊」の意味
「無聊」は、一般的には「ぶりょう」と読みますが、「むりょう」も誤りではありません。「無聊」は、退屈なこと、やるべきことが何もみつからず、気が晴れないこと、を意味する言葉です。
古い日本語においては、心配事やわだかまりによって心がふさぐ、という意味で使われてもいましたが、いまはそのような用い方はしないため、解説は割愛します。
「無聊」の字義
「無聊」の「無」の意味はすぐにわかるものの、「聊」にいたっては、読み方も意味も一般的ではないために、漢字の意味から内容を類推することは難しそうです。まずは、二つの漢字の解説をしていきましょう。
「無」は、そのまま「無い」という意味です。「聊」は、「聊か(いささか)」とも読み、「わずか、少々」という意味をもちます。
「聊」には、それ以外に「楽しむ」という意味があり、それが「無聊」に用いられている「聊」。すなわち「無聊」とは、楽しみが無い→退屈、となるわけです。
「無聊」の使い方
「無聊」には、定型化した言い回しがあります。その代表的な二つの例が、「無聊をかこつ」「無聊を慰める」です。それぞれの意味と使い方を順に解説していきます。
「無聊をかこつ」
「無聊をかこつ」の「かこつ」は「託つ」と書きます。その意味は、「嘆く、愚痴をいう」。したがって、「無聊をかこつ」は、「やるべきことが見つからず、退屈である身を嘆く」という意味の言い回しです。
使い方としては、「無聊をかこつ」とするよりも「無聊をかこって」と活用するほうが一般的です。
(A男)
定年すると、こんなにも時間をもてあますことになるんだね。無聊をかこって毎日を過ごしているよ。
(B子)
「無聊をかこつ」なんて、贅沢な愚痴だと思っていたけれど、よく考えてみれば、忙しくしていられることは何よりもありがたいのよね。
「無聊を慰める」
「慰める」の意味は、基本的に①苦しみや悲しみのなかにある人に、暖かな言葉などでその心を労り癒すこと。②憂さを晴らすこと、気を紛らわせること。③労をねぎらうこと。の三つですが、「無聊を慰める」の場合は、②の用例となります。
すなわち、「無聊を慰める」は、「やるべきことが見つからず、退屈な気分の憂さを晴らす」という意味の言い回しです。
(C男入院)
入院生活も長くなると、テレビを観るくらいしか無聊を慰めるすべはないんだよ。
(D子)
子供たちが巣立ってしまうと、寂しいものね。ペットの犬で無聊を慰めているしまつよ。
「無聊」の類語
「無聊」にはさまざまな類語があります。そのうちのいくつかを、例文とともに紹介しておきましょう。
退屈(たいくつ)
「退屈」とは、何もやることがなく、暇をもてあますこと、飽きたりつまらなく思うことです。
- 遊び友達だった弘くんが転校してしまったので、三郎にとって放課後は退屈な時間となった。
有閑(ゆうかん)
漢字を見ればわかるように、「有閑」とはひまがあること、時間におおいに余裕があること、を意味する言葉です。「無聊」との違いは、「やることがない」ことよりも、「ひまな時間が多いこと」に重点が置かれている点にあります。
生活にゆとりがあり、あくせくしなくてもいい、という意味での「ひま」なので、ポジティブなニュアンスもあります。
- 佐々木さんの奥さんは、出かけるといえばお稽古ごとやお友達との外出くらい。実にゆったり暮らしていて羨ましい。いわゆる「有閑マダム」そのものね。
所在ない(しょざいない)
「所在ない」とは、することがなくて退屈なこと、手持ち無沙汰なことを意味する言葉です。身の置き所がないと感じるほどに、何もすることがない状態を表しています。
- 祖父母は、ほとんど趣味もなく、近所づきあいもなく、実に所在ない生活ぶりだ。
徒然(つれづれ)
古典の名著、吉田兼好の『徒然草』の書き出し、「徒然なるままに…」を連想される方も多いでしょう。「徒然」とは、何もするべきことがなく、退屈で手持ち無沙汰なことを表す言葉です。
現代日本では、使われる機会は少なくなっていますが、風流な文章や会話にまれに登場することがあります。
- 私にとって、行くあてのない散歩は、日々の徒然をまぎらわす最もよい時間なのです。