「恩恵」とは?
「恩恵」は、大きく分けて二つの意味をもつ言葉です。一つ目は、一般的な意味での「恵み」「慈しみ」「なさけ」。
二つ目は、キリスト教神学の概念としての、神が人にもたらす恵み、恩寵を指します。それぞれの項目にわけて、意味の詳細と使い方を解説いたします。
一般的な「恩恵」の意味と使い方
「恩恵」の漢字から、意味を探っていきましょう。「恩」は、恵む、なさけをかける、という意味をもつ漢字です。「恵」がもつ意味は、恵む、求める人に物をほどこす、恩をほどこす、賢い、です。
この二つの漢字が合わさった「恩恵」は、他者、自然、事物など、自分以外のなにかから受ける恵みやいつくしみ、なさけ、という意味を持ちます。
使い方
(A男)
親友が一流の指揮者であるおかげで、彼の恩恵に浴して、僕は数々の素晴らしいコンサートや演奏に触れてこられたんだ。
(B子)
山間部に住んでいると、空気は澄んでいるし、山菜やキノコなどの恵みはあるし、自然の恩恵に預かる幸せを日々実感するのよ。
(C男)
スーパーで働いていると、賃金体系はそれほどよくなくても、食品・雑貨が社員割引で買えるという恩恵に浴せるんだよ。
キリスト教における「恩恵」の意味と使い方
キリスト教神学における「恩恵」とは、、神が人間に与える恵みのたまものを指し、恩寵(カトリックでは「聖寵」)とも言われます。
とはいえ、その解釈は教会や学派ごとに異なるため、統一した定義はありません。新約聖書においては、キリストが示す神の愛を表す言葉とされています。
使い方
(D子)
私は、人生で起こるすべては、イエス様から頂く恩恵だと思って生きているんです。
(E男)
僕が、難病を克服して、現在人のために働けているのは、神からの恩恵にほかならないよ。
「恩恵」の類語と使い方
祝福(キリスト教における「恩恵」の類語):おおいなるなにか・上位者(キリスト教の神など)から恵みが与えられること。(文例:教皇は、教会に集ったすべての人々に祝福を与えた)
賜物(たまもの):大いなる何かからの祝福や恩恵から与えられたもの。(文例:天の賜物か、ひと月ぶりに干からびた大地を驟雨が濡らした)
「祝福」と「賜物」の一般的な意味
「祝福」「賜物」は、上記のように「恩恵」の類語とされますが、それぞれ別の意味をもち、そちらのほうは類語とはいえません。
「祝福」の一般的な意味である「幸福を祝うこと」は、単純な幸福への祝いですので、「恩恵」とは異なります。「両親は、私と彼の結婚を祝福してくれない」などように用います。
「賜物」の一般的な意味である「行為や努力の結果えられた成果」には、大いなるものからもたらされた恵みというニュアンスはありませんので、こちらも「恩恵」の類語とはいえません。「鈴木選手が東京マラソンで入賞したのは、彼の行った厳しい練習の賜物だ」のように用います。
「恩恵」の対義語と使い方
厄難(やくなん):わざわい・災難。(文例:今年の九州地方には、地震や豪雨などの厄難が降り注いでいる)
禍害(かがい):わざわい・災難。(文例:どれほどの禍害であろうと、七転び八起きの精神で乗り越えていってほしい)
害悪(がいあく):害となる悪しきこと。(文例:かつて傷害事件を起こしたことのある山田君は、以来、自分の存在そのものが世間の害悪ではないかと思い悩む日々を長く送ることとなった)
「恩恵」まとめ
「恩恵」は、神の祝福とするキリスト教の概念であれ、一般的な意味における恵みやなさけであれ、人知を越えたなにかからのギフトです。
身に起こったことが「恩恵」であると感じるとき、人はその状況に感謝の念をもち、幸福感にみたされるのではないでしょうか。そのような思いをもてる心ばえもまた、さらなる良きことにつながる「恩恵」かもしれませんね。