「乞食」の意味
元の意味
「乞食(こじき)」とは、誰かにお金や食べ物を恵んでもらおうとする人です。広い意味では宗教的な修行、大道芸や楽器の演奏などのパフォーマンスで生計を立てる人も含みます。しかし、大抵の場合は病気や障害で働けない人や浮浪者などを指します。
文学作品などでは貧しい人や流浪の民として描かることがあります。世界観を演出したり象徴的な意味を持たせるのに一役買っています。
ただし勤労の義務がある日本では、「乞食」は逮捕されたり処罰されたりする恐れがあります。また、現在では差別用語となっているので、使う場合には十分注意が必要です。
ネットスラング
ネットスラングでは、インターネットを通して個人の生活費や娯楽費のために金品や物資を他人に求める行為が「ネット乞食」や「アフェリエイト乞食」と呼ばれています。
代表的な行為には、次のようなものがあります。
- 動画サイトなどで視聴者にお金や物を提供するよう訴える。
- バナー広告やアフェリエイトを利用して悪質に金儲けをすること。
- ブログや動画などのランキング対策、露骨なSEO対策。
「乞食」の使い方
- 毎年バレンタインの時期になるとチョコレートを求める乞食男子が見られる。
- 広告ばかりでアフェリエイト乞食のwebページ。
- 人助けするのはやぶさかではないが、乞食にはやりたくない。
「乞食」の類語
「寄付」
「寄付」も人々にお金や物の提供を呼びかける行為ですが、「乞食」との違いはその目的にあります。「乞食」は生活費や娯楽のためのお金を求めていました。しかし、「寄付」は公共事業や社会福祉など公共のためになることを目的としています。
たとえば、地震や台風で被災した地域の復興は「寄付」ですよね。公共のためになります。次にNPO団体への資金援助。これも「寄付」ですね。日本ではなじみのない人もいるかもしれませんが。
その他、製品開発なども社会のためになるので、「寄付」です。みんなのためになるのが「寄付」といえるかもしれませんね。ちなみに、「募金」は「寄付を募ること」「寄付すること」という意味です。
「托鉢」
「托鉢(たくはつ)」は仏教などの宗教的な「乞食行為」です。「頭陀(ずだ)」ともいいます。「乞食」と同じように生活のためという意味合いもありますが、修行の一環でもあります。
仏教系の宗教では、物の所有や執着を戒めていることが多く見られます。そのため、修行者は生活に必要なものも持ちません。「托鉢」は物質的には生活の手段であり、人々に自分の生を任せる面もあるのです。
一方で、差し出す側にとっても意味のある行為とされています。「断舎利(だんしゃり)」のように物への執着を手放す意味もあり、最終的には徳を積むことにもなるからです。この考え方を「喜捨(きしゃ)」ともいいます。
「乞食」に関わることわざ
「乞食が米を零したよう」
「乞食が米を零したよう(こじきがこめをこぼしたよう)」には二つの意味があります。
一つは、些細なことでも大げさにとらえたり振る舞ったりすることです。食べ物に困っている乞食にはわずかなお米でも大事なことですが、普通の人にとっては大したことではありませんね。四字熟語「針小棒大」に似ています。
もう一つの意味は、貧しい人がもっと貧しくなる、という意味です。ただでさえ食べるものがないのに貴重なお米がなくなったら一大事です。「弱り目に祟り目」や「泣きっ面に蜂」のような意味です。一方で、もうこれ以上貧しくなりようがないことを「乞食に貧乏なし」ともいいます。
「乞食に氏なし」
「乞食に氏なし(こじきにうじなし)」とは、人が乞食にまで落ちぶれるのは努力や能力の不足であって、生まれつき乞食の人はいないという意味です。
「氏(うじ)」とは家名や苗字のことで、代々引き継がれるものという意味があります。「乞食に筋なし」ともいいます。
「乞食の断食」
「乞食の断食」とは仕方なくやったことを、自分の意志でやったように見せかけることです。
「乞食」は食べ物に困っているので、食べるものを恵んでもらえなければ食事できず断食するしかありません。にもかかわらず自分の意志で断食していると見栄を張っていることを指します。「武士は食わねど高楊枝」ともいいます。