「武士は食わねど高楊枝」とは?意味や使い方をご紹介

皆さんは「武士は食わねど高楊枝(たかようじ)」ということわざをご存知でしょうか。あまり有名ではないので、初めて目にする方も多いかもしれません。この記事では、「武士は食わねど高楊枝」の意味や使い方について、当時の武士の生活に触れながらご紹介します。

目次

  1. 「武士は食わねど高楊枝」とは
  2. 武士の食生活について
  3. 「武士は食わねど高楊枝」の使い方
  4. 「武士は食わねど高楊枝」の類義語
  5. 「武士」を使ったことわざ
  6. 「武士は食わねど高楊枝」のまとめ

「武士は食わねど高楊枝」とは

「武士は食わねど高楊枝(たかようじ)」とは、「武士が清貧(せいひん)に甘んじること」「気位(きぐらい)の高いことのたとえ」という意味のことわざです。

「清貧」とは、「行いが潔白で、あえて富を求めず貧しさに安んじていること」という意味の言葉です。また、「気位」とは「自分の品位を保とうとする心の持ち方」のことです。

「武士は食わねど高楊枝」の語源は、「当時の武士のあるべき姿勢」からきています。武士はたとえ貧乏で食えなくても、満腹を装ってゆうゆうと楊枝を使うべきだ、という考えだったのです。

もともと「高楊枝」という言葉には、「食後にゆったりとつまようじを使うこと」の意味があります。皆さんも、満腹になった後、シーハーとつまようじを使ったことがあるのではないでしょうか(あまり人前で堂々とする行為ではありませんが)。

武士の食生活について


現代では一日三食が当たり前ですが、当時の武士は二食しか食べられないことも多くありました。それに、献立の栄養バランスも良くありませんでした。例えば、お茶漬けや豆腐だけといった食事です。

武士にも階級があり、特に下級の武士は、魚も滅多に食べることができませんでした。収入で手に入る食料だけではとても足りないので、自分で畑を持って野菜を育てることもしていました。

このような食生活でしたが、武士は「耐え忍び、愚痴を言わない」ことが美徳とされていましたので、我慢していたのかもしれません。お茶漬けしか食べられなくても、満腹のふりをして「高楊枝」する武士の姿が目に浮かぶのではないでしょうか。

「武士は食わねど高楊枝」の使い方

現代の日常生活では、「武士は食わねど高楊枝」はどのように使えば良いのでしょうか。例文を使って考えてみましょう。
 

  1. 武士は食わねど高楊枝というが、彼の態度はやせ我慢としか思えない。
  2. 武士は食わねど高楊枝で金欠を隠し、彼女にたくさん奢ってしまった。
  3. 何があっても武士は食わねど高楊枝の精神で、弱いところは見せない。

1と2の例文は、「見栄っ張り」な様子を表していることがわかります。どちらかというと悪い意味になります。しかし、3の例文は、弱みを見せないぞという我慢強さを表しています。「武士は食わねど高楊枝」は、使う場面によって良くも悪くも取れる言葉です。

「武士は食わねど高楊枝」の類義語

  • 鷹は飢えても穂を摘まず(たかはうえても・ほをつまず)

鷹は穀類を食わない習性があることから、「高潔な者はどんなに困っても不正な金品は受け取らない」という意味を表します。
 
  • 渇すれども盗泉の水を飲まず(かっすれども・とうせんのみずをのまず)

孔子(こうし:中国の学者)はとても喉が渇いていました。泉の前を通りかかりましたが、その泉が「盗泉」という名前だということを嫌い、水を飲みませんでした。このことから、「どんなに苦しい中でも不正をしない」という意味を表します。

「武士」を使ったことわざ

  • 武士に二言はない
武士は信義を重んじるので、一度言ったことは絶対に守り抜くということです。
 
  • 武士は相見を互い(あいみをたがい)
同じ立場にいる者は、互いを思いやり助け合わなくてはならないということです。

このように、「武士」はまっすぐで誠実な人柄を表していることがわかります。現代の日本人の美徳に通じているのではないでしょうか。

「武士は食わねど高楊枝」のまとめ

皆さんも、本当は困っているのに、強がって格好つけたことがあるのではないでしょうか。自分の弱みを見せるのは恥ずかしい、という気持ちもあるのかもしれません。

しかし、「武士は食わねど高楊枝」で強くあろうとした武士たちも、本当は無理をしていたのかもしれません。体裁を気にして、愚痴や文句を言えなかったのではないでしょうか。「武士は食わねど高楊枝」は、ほどほどに心がけるのが良いかもしれませんね。


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