「ビジョン(vision)」の意味
「ビジョン」は「ヴィジョン」と表記されることもあります。こちらは、原語「vision」の「vi」音を本来の発音に近い表記にしたものですが、かといって「ビジョン」という表記が誤りというわけではありません。
原語「vision」にはいくつかの意味があります。辞典によって微妙な異同はありますが、たいてい①視覚、視野、見ること、②想像力、洞察力、先見の明、③未来図、展望、見通し、④幻、幻覚、⑤光景と説明されています。
「ビジョン」の用例
日本語としての「ビジョン」の日常的な用例として圧倒的に多いのは、上記の三つめの「未来図、展望、見通し」という意味でしょう。
たとえば、企業における将来的なビジネス戦略や展望を表す言葉として「経営ビジョン」というものがあります。また、進学、就職、転職などによって、個人が将来どのように社会進出していくかを思い描いた人生設計を「キャリアビジョン」といいます。
「ビジョン」の使用例
- 実行委員の間で具体的なビジョンを共有していたことが、今年の文化祭の成功を導いた。
- わが社の長期的な経営ビジョンを修正する。
- 漠然と転職するのではなく、キャリアビジョンをしっかり持った方が良い。
「ビジョンを~」に続く動詞
さて、この「ビジョン」という語を用いる場合に検討を要することがあります。それは「ビジョンを~」の後に続く動詞に関することです。
一般的に「ビジョンを持つ」「ビジョンを抱く」など、「持つ」「抱く」という動詞が続くことが多いのですが、まれに「ビジョンを見る」という用い方がなされる場合があるのです。
この表現において気になることは、まず重言に見えることです。重言とは、たとえば「頭痛が痛い」のように、同じ意味を持つ語を不必要に重ねた言い回しで、一般的には避けるべき表現です。
上述のように、「ビジョン」の原語「vision」には、まず「視野、視覚」という意味があるわけです。「ビジョンを見る」という表現は「視野を見る」というような、倒錯した事態を表すことになるように見えます。
「ビジョンを見る」は本当に重言か
ただし、「vision」には「幻覚」「光景」といった意味もあり、これならば「幻覚を見る」「光景を見る」という風に、「見る」の目的語(「~を」にあたる言葉)としても不自然ではありません。
そう考えると、「ビジョンを見る」という表現が必ずしも重言になるとは限らないと考えることもできそうです。実際、英語の「vision」に関しても、いくつかの英和辞典に「ーsee visions.」という、「see(見る)」の目的語にしている用例が書かれているのです。
「ーsee visions」は「幻覚を見る」
ただし、この「ーsee visions.」という用例は、どの辞書にも「幻覚を見る」という文の例として載っていることに注意が必要です。
確かに日本語でも、前後の文脈なしに「ビジョンを見る」という言い回しだけを聞くと、その場合の「ビジョン」は幻覚や透視など、本来の視野に広がっているはずの世界と異なるものを指しているような感じがしてこないでしょうか。
自分のビジョンでないから「見る」の目的語になり得る
さきほど「視野を見る」というのは倒錯した事態だと述べましたが、そうなってしまうのはその視野=ビジョンが、それを見ている当人のものである場合です。主体自身の視野ではない別の視野ならば、それを見ることも原理上可能でしょう。
とはいえ自分のものでない視野を見るともなれば、病理的、あるいは超常的な力によって与えられた、通常の視野と異なるものを見ていることになります。「ビジョンを見る」という言い回しから幻覚を見ている様が思い浮かぶのは、そういう事情からだと考えられるでしょう。
あるいは、「今日の講演で、代表の頭の中にあるビジョンを垣間見た。」のように、他者の展望を共有する場合には、「ビジョン」が「見る」の目的語になっても問題なさそうです。自分自身が主体的に持っているのではなく、他者のもつものですから、「見る」という行為の対象になっておかしくないのですね。