「一見」の二つの読み方
「一見」という語には二つの読み方があります。ひとつは「いっけん」、もうひとつは「いちげん」です。どちらも名詞ですが、「いっけん」の場合は後ろに「する」を伴った動詞的活用や、副詞としての用法もありますので、それぞれの意味と使い方を解説していきます。
「一見(いっけん)」の意味
「一見」を「いっけん」と読ませる場合の意味は以下のとおりです。
①一度見る
②ちょっと見る
③ちょっと見たところ
④初対面
「一見(いっけん)」の用例と解説
実際の用例をもとに上記の①~④に即してご説明しましょう。
①あの映画は一見の価値がある
「一見」を名詞として用いた表現で、文字どおり「一度は見るべき価値がある」という意味です。この使い方では「一度」という限定がポイントです。続く②と比較してみましょう。
②一見して素晴らしい映画だとわかった
こちらは「一見する」という動詞形で使われており、「ちょっと見て」という意味です。その映画を「一度」すべて見終えたわけではありません。「ちょっと見た」のです。①との違いはそこにあり、「一見」は「一度」という数の限定と、「ちょっと」という程度の少なさ、両方を表すことができるのです。
③一見、良さがわからないが、実際は素晴らしい映画だ
言葉の意味は②と同じですが、文法上の立場が異なります。ここでの「一見」は副詞です。副詞には、そのあとに続く話の状況をより具体的に伝える効用があります(例:「とてもいい天気だ」「少しも楽しくない」「まったくわからない」など)。
④彼とは一見だがすぐに気が合った
この使い方だけは特殊です。通常は次に記載する「一見(いちげん)」という言い方をするので、説明もそちらに譲ります。
「一見(いちげん)」の意味
「一見」を「いちげん」と読ませる場合の意味がこちらです。
①初対面
②遊郭で初めての遊女と対すること
「一見(いちげん)」の用例と解説
①の「初対面」は、「一見(いちげん)さんお断り」「一見(いちげん)客」のように使われるのが最もなじみ深いのではないでしょうか。むしろ、日常においてはそれ以外の使い方は聞かないといってもよいかもしれません。
「一見(いちげん)さん」はそのまま「初対面の人」、つまり初めて店などを訪れる客のことです。「一見さんお断り」の代表格といえば京都のお茶屋ですが、いまではさまざまな店で同様の方針をとっています。事前に常連客の紹介などがないかぎり、初めての方はご遠慮くださいということです。
そもそも京都のお茶屋さんの「一見さんお断り」には、客と店との信頼関係を何より重視する姿勢があるようです。信頼できる客だからこそ融通を利かせる、最大限のサービスを提供する。万が一、そのお客が不始末をしでかしたとしても、責任は紹介者が負うので店側のリスクも防げる。そういうシステムができあがっていたわけです。
なお、「一見=初対面」という表現は、「初めて店を訪れる客」に限定されているわけではありません。使用頻度は低いでしょうが、初めて顔を合わせる相手全般に対して使うことも可能です。
また、②の用法も「初対面」を表すことに変わりはありませんが、遊郭という特殊な状況で使われたいいまわしと受け取ってよいでしょう。
「一」であって「一」でない
さて、「一見」という言葉の面白いところは、「一」という数字を用いて、「一度」という限定的な意味と、「ちょっと」という程度の少なさを表す意味、このふたつを兼ね備えている点ではないでしょうか。
じつは日本語には、具体的な数字を出しながらも、漠然と程度の大小を表現した言葉がいくつもあります。最後にそれらの一部をご紹介しておきましょう。
程度を表す言葉の用例
- 一興(いっきょう)……ちょっと面白い、の意。「このまま徹夜で遊びに行くのも一興だ」
- 一瞥(いちべつ)……ちらっと見る、の意。「彼女はこちらを一瞥しただけで、あとは知らん顔だった」
- 七転び八起き……何度くじけてもそのたび奮起する、の意。「七転び八起きの心意気で頑張ろう」
- 九死に一生を得る……絶体絶命の危機からなんとか助かる、の意。「海難事故に遭ったが九死に一生を得た」
- 万里……非常に遠い距離、の意。「万里の彼方にぼんやりと街らしきものが見える」
- 百聞は一見に如(し)かず……何度も聞くよりその目で確かめたほうが早い、の意。「百聞は一見に如かず、とにかくやってみよう」
いかがでしょう。「七転び八起き」といっても必ずしも七回失敗したわけではありませんし、「万里」が一万里の距離を表しているわけでもありません。このように、日本語表現には「一」という小さな数で程度の少なさを、「百」や「万」で程度の大きさを表現する手法があるのです。
今回のテーマ「一見」もそうした意味を含んでいるわけですが、最後の「百聞は一見に如かず」の場合は、意味合いから考えて「百聞」が程度の大きさ、「一見」は具体的な「一度」を意味しているととらえてよいでしょう。